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第4話 バレてしまった

 さんざん考えて、嫌なことは済ませてしまおう、という気になった榊原は、男に診察を頼む決心をした。   「すみません……じゃあ、お願いします」 「下だけ脱いで、そこにうつぶせになれ」    男は表情も変えずにそう言うと、うつぶせになった腰の下に枕を差し入れた。  腰を浮かして突き出したような格好をさせられて、羞恥心がわきおこったが、世の中に痔で病院を訪れる患者などいくらでもいるはずだ、と自分に言い聞かせた。   「酷いな……」    ちら、と診ただけで、男は顔をしかめた。   「かなり化膿しているようだ。これでは歩くのも辛いだろう。なぜこんなになるまで放っておいたんだ」 「仕事が忙しかったんです」 「医者の不養生だな」    男はカチャカチャと音をさせて、何か器具のようなものや薬を用意している。  何をされるのか恐怖を感じたが、男が薄い手袋をして診察台の横にある椅子に座ったのを見て覚悟せざるを得なかった。    ひやり、とした感触があり、消毒液がしみる。  金属の道具を差し込まれた感触に、歯を食いしばって耐えた。   「ちょっと痛いけど、我慢しろよ」    ぐいっと指を突っ込まれて、耐え切れずに悲鳴を上げた。  痔の治療で指を突っ込まれることがあると話に聞いたことがあったが、覚悟をしていても身体が拒絶する。  あの日の恐ろしい状況が急にまざまざと蘇り、身体ががくがくと震えた。   「や……やめてくれ……」    榊原は男の手から逃げるように壁際へと飛びのく。  ぞわり、と背筋を這うような悪寒を感じてその場に吐いてしまった。   「大丈夫か? 怖がらなくていい。消毒と薬を塗布するだけだ。すぐに終わる」 「嫌だ……助けてくれ……」    榊原が恐怖に怯える目を見て、驚いた顔をしていた男の表情を見たのが最後の記憶だ。  榊原は再び意識を失ってしまった。    腕をひっぱられるような感触に榊原は目をさました。    どこだ、ここは……  さっきまで診察室に寝かされていたはずなのに、気がつくと普通の部屋のベッドに寝ていて、男は榊原の服のそでをまくって消毒をしようとしていた。   「どこですか……ここは」 「俺の部屋だ。病院の隣に住んでいる」 「運んでくれたんですか」 「お前、診察室が嫌いみたいだったからな」    どうやって運んだんだろう、と申し訳ない気持ちになった。  榊原は身長百七十センチと小柄な方だが、それでも抱えて運ぶのは重かっただろう。   「刺すぞ。頼むからじっとしていてくれ」    注射針を刺して固定すると、男は壁にある洋服を掛けるフックに点滴の袋をさげた。   「俺も二日酔いの時、ここで自分でよくやってるんだ」    そう言って男は笑った。   「何を入れたんですか……」    男は三種類の薬液の名前を口にした。抗生物質に消炎剤、安定剤だろうということぐらいは榊原にも想像はついた。自社の製品でなくても名前ぐらいは知っている。   「僕は取り乱してしまったんですね。すみませんでした」    見ず知らずの自分を助けてくれようとしている男に、榊原は素直に謝った。   「気を失ってくれていて助かったぞ。好きで痛い思いをさせてるわけじゃないからな」    気にするな、というように男は榊原の頭をくしゃっとなでた。   「手当てはしておいた。少し休んだほうがいい。点滴は二時間ほどかかるから、その後で送っていってやろう」 「本当に何から何まですみません……」    男は少し憐れみを含むような目でじっと榊原を見つめて、言いづらそうに口を開いた。   「楓……とか言ったな。話したくなければ話さなくてもいいが……誰に犯られたんだ」    榊原は驚いたが、男の表情からああ知られてしまったんだ、と悟った。  傷口を見ただけで分かるのかどうか知れないが、痔ではないとバレたんだろう。   「夜道で暴漢にでも合ったのか?」    榊原は黙って首を横に振った。   「……犯ったのは医者か。お前の診察室での怯えようは普通じゃなかった」    肯定も否定もせず、天井をぼんやりと見つめていると、突然涙があふれてきた。  誰にも話せずにいたことを、この男は気づいてしまった。  もう秘密は秘密でなくなったのだ。  俺は男に犯された憐れな被害者に見えているのだろうか。    こらえようとぐっと唇を噛みしめても、嗚咽が漏れて、榊原はついに我慢できなくなり泣きじゃくった。  男は黙ってただ、その隣で榊原の気持ちが落ち着くのを待っていた。  ひとしきり泣いてしまうと、不思議と気持ちが少し軽くなったのを榊原は感じていた。  薬が効いてきたのかもしれないが、次第に心が穏やかになっていく。   「傷は二週間もあれば治る。そうすれば忘れられるだろう。まずは身体の傷を早く治したほうがいいな」    変に同情するでもなく、男は淡々と話し相手になってくれる。   「無理やり犯るようなヤツは狂犬と一緒だ。運悪く噛まれたのは災難だったが、恐らくそんなヤツはお前だけでなく、他でも似たようなことを繰り返しているんだろう。二度と近づかないことだな」 「それがそうもいかない相手なんです」 「二人きりにならないように気をつけることぐらいできるだろ? 嫌なヤツには嫌だとハッキリ態度で示せ。でないとつけこまれるぞ」 「そうですね……俺が悪いんですよね……」 「そうじゃない。悪いのはどんな状況でも暴力を振るったほうだ。お前は悪くなんかないぞ。ただ、これからは気をつけたほうがいいと言ってるんだ」    ああ、もうこれで立ち直れそうだ……    榊原は真顔で相談にのってくれている男に不思議な安堵感を覚えていた。  誰かひとりでも苦しい気持ちを知って味方になってくれるだけで、これほど心は救われるのだな、と感謝の気持ちがわいてくる。  第一印象は目つきが鋭くガラの悪そうなヤツだと思ったのだが、人は見かけで判断してはいけないなと、面倒見の良いその男に好感を抱き始めていた。

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