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第16話 メール
倉田はそれきりその話には触れず、いつものように食事を一緒にして、他愛ない話をしては榊原を元気付けようとしていた。
それでも榊原の表情は晴れることがなかった。
いつ本当のことを言い出そうかとそればかり考えていた。
「楓、今日は疲れたんだろう? 早めに休んだほうがいい。泊まっていくか?」
倉田に優しく抱きしめられた時、榊原の心は耐えられなくなった。
こんな優しい人にずっと嘘をついていた自分が嫌になった。
録音を聞かれてしまえば信用を失ってしまうかもしれない。
嫌われてしまうかもしれない。
本当のことを話そう。
話すから……
だからその前に一度だけ……
「先生……俺、先生にお願いがあるんだ」
「なんだ、言ってみろ」
「俺、もう忘れたいんだ。村井のことは今日で終わりにしたい」
「俺に……抱かれたいのか」
榊原が言わなくても、倉田には榊原の気持ちが分かっているようだった。
「うん……ヤケになってるとか、そういうんじゃなくて、嫌なんだ。俺の身体に残っている唯一の記憶が村井だなんて。一度でいいんだ。一度でも先生が抱いてくれたら多分もう忘れられる」
「一度でいいのか……お前は」
「うん……それでいい」
「本当にそれで忘れられるんだな?」
「うん……」
嘘だ。
村井のことなどもうとっくにどうでもよくなっていた。
村井を忘れるためなんかじゃない。
抱かれたいのは、好きだから。
今日が最後かもしれないから。
だけど嘘をついたまま好きだと言う資格など俺にはない。
ひとつ嘘をつくとまた嘘を重ねてしまう。
こんなことは今日を最後にしよう……
「楓……身体が辛そうだったら途中でも止めるぞ」
「大丈夫。先生、なんて顔してるんだよ。セックスは楽しむ主義じゃなかったのか」
「お前、今日は様子が変だから心配なんだ」
「俺、今幸せいっぱいなんだから、そんなこと言わないでよ。早く……お願い」
「……挿れるぞ。痛かったら我慢しないで言え」
「ん……あ……ああっ……」
倉田はゆっくりと慎重に榊原の中へ身体を沈めていった。
傷つけないように十分に前戯を施し、たっぷりのローションを使っていたので、榊原はなんの不安もなく受け入れることができた。
「全部はいったぞ。大丈夫か?」
倉田のキスが落ちてくる。
痛くはなかったがさすがに余裕がなくて、榊原は目に涙を浮かべていた。
「ん……すげー幸せ。先生動いていいよ」
「ダメだ、今動くとイッてしまう」
「先生気持ちいいの?」
「ああ、楓の中は熱くて気持ちいいぞ」
倉田はいきなり激しく動いたりせず、まだキツい榊原の中を解すようにゆるゆると腰を前後させた。
「あっ……ああん……そこがイイ」
「ここか? 気持ちいいのか?」
「あっもっと、そこもっとしてっ……」
榊原は変に気を使われたくなくて、倉田を煽っていた。
激しく思い切り抱かれたかった。
「楓、そんなに締めたら俺がイってしまう……力抜いてくれ」
「だって……あっあっ……もっと、もっと奥までっ」
これ以上は無理だ、と倉田は榊原の中心に手をのばし、扱き始めた。
「あっダメっ、そっち触ったらイクっ」
「楓、もうイこう……俺も限界だ」
「じゃあ……一緒がいいっ……一緒に……」
倉田は榊原の唇をふさぎ、舌を吸い上げながら激しく突いた。
「ああっすごいっ……もうイクっイクっ」
「楓っ早くイケっ……俺も……」
二人はほとんど同時に果てて、きつく抱きしめ合った。
貪るようにキスを交わす。
「先生……俺……」
好きです、と言いたいのを榊原はこらえて飲み込んだ。
「俺……これで忘れられる……」
天井をぼーっと見つめて、榊原はまた俺はひとつ嘘をついたな、と思っていた。
翌朝倉田の診療が始まる直前まで榊原は一緒にいた。
診察が始まれば午前中いっぱいは録音を聞いている暇などないだろう。
診察室にたくさんの患者が待っているのを確認して、榊原は会社に出社した。
出社して倉田医院のメールアドレスを調べると、榊原は外回りと嘘をついて自宅へ帰った。
昨晩抱き合ったあと、榊原は倉田に何も言えなかった。
姑息な手段だとは思ったが、メールで真実を打ち明けようと決めた。
倉田医院宛てのメールは倉田自身が全部チェックしていることは知っている。
会社では誰が見ているかわからないので、落ち着いてメールなどできないと考え、倉田が録音を聞く前にと急いで帰ったのだ。
パソコンの前で一言一言、正直な気持ちを綴った。
『倉田先生へ
もう気づいてたかもしれないけど、俺は先生に今までずっと嘘をついていました。
俺は医者ではありません。竹中薬品という製薬会社の営業社員で、藤城会病院は得意先です。録音を聞いたら分かるはずです。
何度も本当のことを言おうと思ったんだけど、最初に嘘から始まっていたので、なかなか言えませんでした。でも、先生を騙すつもりじゃなかった。あんなにお世話になったのに、ごめんなさい。
村井のことを忘れたい、と言ったのも嘘です。村井なんてどうでもよかった。
俺、先生に抱かれたかった。好きだったんです。それだけは本当です。優しくしてもらって嬉しかった。嘘ばっかりついて迷惑かけてごめんなさい。 榊原楓』
メールを書き終えると、つくづく文才がないな、と思ったが、決心がにぶる前に深く読み返さずに送信ボタンを押した。
読み返していれば後悔がつのるだけだ。
いくら後悔したって、嘘をついてしまったことは変えられない。
これで、いいんだ。
本当のことを言って嫌われたらそれで仕方ない。
榊原は倉田に携帯の番号を教えていなかった。
毎日のように通っていたので、倉田もあえて聞かなかったのだろう。
倉田が返事をしようと思ったら、送ったメールアドレスに返信してくるしかない。
倉田と別れたい訳じゃない。
本心は許してもらって元通りになりたかった。
榊原は二、三日の間メールを気にかけていたけれど、倉田からの返信はなかった。
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