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第17話 呼び出し
数日後、中川から電話がかかってきた。
村井が突然病院を辞めたという話だった。
やっぱりお前あの時何かあったんだろう、と聞かれたが、榊原は何も知らないと答えた。
倉田のやったことだというのは想像がついたが、病院関係者にそれを話すと倉田にどんな迷惑がかかるかわからないので黙っておいた。
正義感の強い倉田のことだ。榊原に嘘をつかれていたと知っても、村井の件を黙認することはできなかったのだろう。
でも少しは俺の身の安全のことも考えてくれたのかもしれないな、と思うとそれだけでも嬉しかった。
倉田にメールを送ってから一週間ほどたって、朝出社すると机の上に一枚の伝言メモがあった。
不在時に榊原宛に電話や来客があるとメモが残される。
『倉田医院より電話あり。午後8時以降に来てほしいとのこと。発注の件』
心臓が止まりそうになった。
発注の件というのは明らかに口実だろう。
メモを見て呆然と立ち尽くしている榊原に先輩社員が声をかけてきた。
「それ、俺が電話とったんだけど。お前倉田医院に行ったのか?」
「いえ……前にケガをしてたまたま診察を受けたことがあるんです」
「発注の件と言うから俺が代わりに行こうかと思ったんだが、榊原を寄こせと言われたんだ。お前、気に入られたんじゃないのか?」
先輩社員は意味ありげな顔でニヤニヤしている。
「ま、頑張ってくるんだな。注文取ってこいよ。それこそ身体はってでもな」
意地悪く嫌味を言う先輩社員の言葉も耳にはいっていなかった。
どうしよう……
どんな顔をして行けばいいんだろう……
その日は一日中仕事が手につかなかった。
時間ちょうどに倉田医院を訪れる。
中をのぞくとまだ数人の患者が待合室に残っている。
正面玄関から診療中に訪れるのは、初めてだ。
榊原は深呼吸をしてドアを開けると、受付にいた看護師に声をかけた。
今日は仕事なので他の病院を訪れる時と同じようにしなければいけない。
「お世話になっております、竹中薬品です。倉田先生とアポイントがありまして」
「竹中薬品様ですね。待合室で少しお待ち下さい」
看護師はにこやかに即答した。
緊張の面持ちで長椅子に座って待つ。
残っていた患者がすべて診察を終えて、待合室が榊原だけになると、倉田が出てきた。
会いたかった……
考えたら出会ってから一週間も離れていたことなどなかった。
榊原は泣き出しそうになるのをこらえて、今は仕事中だと自分に言い聞かせた。
「竹中薬品の榊原です……お電話頂いて、有難うございました」
「楓……」
名前を呼ばれるともうダメだった。
榊原はその場に崩れ落ちると、床に土下座をして顔を上げられなかった。
せめて仕事だけでも、もう一度そばにいられるようになりたい。
倉田の顔を見られるだけでもいい。
「先生、すみませんでした。俺はここへ呼んでもらえるような立場じゃないのに……注文を取って来いと言われてのこのこと来てしまった……俺なんて信用できないかもしれないけど、一生懸命やります。よろしくお願いします。何でもやります!」
床に頭をすりつけんばかりに土下座をしている榊原に倉田が静かに声をかけた。
「楓、そんなことはしなくていい。頭を上げろ」
「でも……俺……」
「お前、いつもそんなことやってんのか」
「そんなことって……」
「土下座してでも注文とってこないといけないような仕事なのか?」
倉田は呆れたような声で言うと、榊原の腕をぐいと引っ張って立たせた。
「ちょっとこっちへ来い」
受付の奥にある薬棚の前まで榊原を引っ張って行く。
「伝票を書け。お前のところで代替できる薬品全部だ。数は俺が後で書く」
「は、はいっ」
榊原は倉田の顔をまともに見ることが出来なかった。
ひたすら棚をチェックして、伝票を書く。
「薬品だけじゃなく、包帯や医療器具もあれば書いておけ」
「わかりました」
ようやく伝票を書き終えると、デスクのパソコンに向かっている倉田に、おずおずと差し出す。
「これで全部か?」
「はい」
倉田が伝票に次々と数量を書き込んで行くのを榊原はぼんやりと見つめていた。
「これぐらいあれば、少しはお前の役に立つのか?」
「もちろんです。ありがとうございます」
「じゃあ、ちょっとそこへ座れ」
「はい……」
倉田は椅子ごと榊原の方へ向き直った。
「俺はな……お前が本当のことを言わないのは、村井のことを忘れるために俺に抱かれたあと、後腐れなく俺と別れるためだと思ってた。だからお前が逃げたら追うつもりもなかった。俺のそばなんかにいるぐらいなら、離れてまた女でも作ったほうがいい、そう思っていた」
「知ってたんですよね……俺が嘘ついてたこと」
「知ってたというか……まあ医者ではないだろうな、とは思っていたな。薬剤師とか病院の事務でもやってるんじゃないかと想像してたが、まさかMRだとはな」
倉田は苦笑した。
榊原が営業をやっているようにはとても思えなかったのだろう。
「だけどな。お前が営業をやっている知ったら、とてもじゃないけど心配で眠れなくなった。またどっかでお前が注文取るために無茶をしてるんじゃないかと、夜もおちおち寝ていられない。村井みたいなヤツもいるしな」
倉田は眉間にシワを寄せて困った顔をしている。
榊原は嬉しかった。
もう十分だ……
そんなに心配してもらえただけで……
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