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 月に、最低でも一度。多くて三度ほど、二人きりの飲み会を開催し。……桃枝と【普通の人間関係】を築き上げてから、早くも三ヶ月が経った。  相変わらず、桃枝は山吹の人間性をなにも知らない。前も後ろも貞操観念もガバガバだということを知らず、尚且つ山吹が今なお誘われればひとつ返事で応じていることも知らないのだ。  山吹にとって、貴重極まりない男。面白いオモチャを手に入れた子供のように、山吹は桃枝をいたく気に入っていた。  ……その結果として、この日。山吹は【とある肩書き】が付くきっかけとなる出来事を、引き起こしてしまった。 『──俺はお前に、春頃にも言ったよな? ちゃんと頭を働かせたのかって』  まただ、と。山吹を含む全員が、そう思う。 『時間をかければいいってモンじゃねぇだろ。かけた労力と結果はイコールじゃねぇ。入社したてのお前なら、このレベルの内容を一日で作っただろうな。……そこんところを踏まえて、やり直せ』 『……っ』  課長席のそばに立つ一人の職員が顔を青ざめさせ、その原因たる桃枝が不愛想なまま書類を突き返している。  さすがにそろそろ、あの職員は限界だろう。きっと明日にでも、辞表届を提出するに違いない。むしろよく、あれから三ヶ月も持ったものだ。全員が、そう思い始める。  ──だが、山吹はその【全員】には入っておらず……。 『──もう少し真剣に取り組めば、お前なら絶対にいい書類が作れる。結構いい線まではいっているから、期待に応えてほしいな』  思わず山吹は、口を開いてそう言った。  山吹の発言を聞き、職員が一斉に山吹を振り返る。その顔の中には当然、課長席に立つ一人の職員も含まれていた。 『ってことを、課長は言いたいんですよっ』 『……えっ?』 『いつも書類の作成を課長があなたに頼むのは、課長があなたを書類作成の上で一番信頼しているから。だから課長は、会議の日程に対して多少ギリギリのスケジュールだとしても作業時間を多めに作って、あなたに作成を頼んでいるんです』 『えっ? ……えぇっ?』  青ざめていた職員の顔が、徐々に変化。今にも自殺してしまいそうだった彼のオーラは、ゆっくりと戸惑いへ変わっていく。 『だけど、あなたが課長に委縮して当たり障りのない保守的な書類ばかり作るようになったから、課長は困っているんです。以前までのあなたが作っていた、攻めの姿勢が混ざった書類。あれを作ってくれたら、課長は一発でオーケーを出しますよ、と。……そんな感じのことを、課長はあなたに言いたいんですよ』 『……そう、なの、ですか?』  恐る恐る、職員は山吹から桃枝へと視線を戻す。  いくら優しい言葉だとしても、発声者は山吹だ。悪い噂ばかりの山吹に対する信頼がなくても、当然のこと。ゆえに、職員は藁にも縋る思いで桃枝本人に訊ねた。  結果……。 『──初めからそう言ってるつもりなんだが』  管理課に、一人分の穴が開くことはなかった。  こうして桃枝と接し続ければ、なんてことはない。じっくりと観察をすれば、桃枝という男は存外、分かり易い男なのだ。  言葉足らずで、シャイ。そこに不愛想と口の悪さが加われば、あっという間にパワハラ上司の完成。それが、桃枝という課長のソトヅラだった。  なにが彼をそうしたのかは知らないが、とにもかくにも勿体ない男だ。相手の目を見て、たった一言でいいから【いいところ】を言えばいいのに、それを失念している。……むしろ、本人がそれを伝えているつもりだからこそ、部下との関係性は救えないほど絶望的だった。  しかし、それを分かり易く言葉にしてあげれば。相手にこそ伝えられれば、桃枝は部下のことを信頼し、それでいて個人の技量をよく理解しているできた上司なのだ。 『信頼されていて良かったですねっ』  そう言って笑う山吹は、この日。  ──【桃枝専用翻訳機】と、センスのない肩書き付きで噂されるようになったのだった。

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