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2章【知るは一滴に過ぎず、知らぬは大海の如し】 1
それは、桃枝との仮交際が始まって一週間後。
「──課長。今度の土曜日、デートしませんか?」
山吹は普段となんら変わりないテンションで、桃枝を誘っていた。
居酒屋での告白から、一週間。山吹は桃枝と、恋人らしいことをなにもしていなかった。
居酒屋では連作先を交換した後、その場で解散。それから土日を越えて、平日は今まで通りの上司と部下。桃枝専用の翻訳機として課内の平和を保ちつつ、自分の仕事をこなしていくだけの日々。
少し変わったことと言えば、桃枝の態度だ。表面的に見えるとなにも変わっていないが、桃枝は朝と夜、毎日スマホで山吹にメッセージを送っていた。
とは言っても、朝の挨拶と夜の挨拶だけ。実に健全で、なんともピュアなやり取りだ。機械的、とも言えるだろう。
居酒屋で、大仰に迫られ。てっきりすぐにでも、体の関係へと発展すると思っていた。……むしろ、そのくらい強引な方が山吹としては楽だと思えるくらいだ。
しかし、桃枝からの直接的なアクションはナシ。居酒屋での出来事は酔いによる失言だったのかと、思わず山吹がそう勘繰るほどだ。……互いに、素面ではあったが。
……だが、しかし。
「デート、だと? 俺と、お前がか?」
「はい、そうです。せっかくですし、どこか遠出でもしませんか?」
せっかく手に入れた、仮の恋人関係。気持ちを落ち着かせるまでに時間を要しすぎてしまった気もするが、このままなにもしないのは得策ではない。
ゆえに、山吹は動いた。事務所で二人きりとなる、昼休憩の一瞬を待ちながら。
「どこか行きたいところとかありますか? ボク、プラン立てますよ?」
「行きたいところ、か。……そう言えば、洗濯用の柔軟剤を買わないとな」
「それは今日の帰りにでも買ってください」
「それもそうだな」
まさか、好きだの愛しているだのといった言葉は、ただの妄言だったのか。一週間も落ち着きを失くしていた自分が、馬鹿馬鹿しい。
鈍いどころの話ではない桃枝を見て、山吹はわざとらしく拗ねたような表情を浮かべた。
「まったくもう。そんな同棲相手にするようなテンションで答えないでくださいよ、課長? ボクは今、デート場所を──」
しかし。
「──同棲か。それも悪くはねぇな」
やはり、妄言でもなければ夢でもなかったらしい。
さすがの桃枝であろうと、今のは分かり易い。若干だが確実に、桃枝は纏う雰囲気を嬉しそうに柔らかくしたのだ。
この反応は、予想外。すぐさま、山吹は動揺する。
「っ。……気が早いですよ、それは。デートすらしたことないくせに」
「それもそうだな」
「全然ダメじゃないですか、もう。……行き先はこっちで考えますから、後でメッセージを送りますね」
「あぁ、頼んだ」
「頼まれましたぁ~」
そそくさと自分のデスクに戻り、山吹はそっと息を吐く。
まったく、アホらしい。一週間も経って、未だに桃枝の一言や纏う雰囲気ひとつに動揺するなんて。今までどれだけ単純な人付き合いだけをしてきたのかと、山吹は過ごしてきた短い人生を呪いたくなった。
だが、後悔はしない。振り返ったところで、戻ることはできないのだから。
山吹は昼休憩の残り時間を確認してから、スマホをタシタシと操作し始める。……珍しく、天気予報を調べるために。
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