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不思議なことに、桃枝とは目が合わない。
桃枝は挨拶をした後すぐに、山吹の顔ではなく、それよりも下に目を向けたのだ。
「課長? どうかしましたか?」
「別に、なにも」
「『別に』って顔じゃないですよぉ~?」
人の目を見る。それは、山吹が桃枝に教えたコミュニケーション術だ。
しかし、今の桃枝はどうだろう。告白をするに至るほど感動した教えだというのに、全くと言っていいほど教えと違う動きをしているではないか。
「いや、その。……なんだ、ほら」
加えて、歯切れも悪いときた。謎の言動だ。山吹は申し訳なさそうな顔を作りながら、桃枝を見つめた。
桃枝から動かないのならば、こちらから。山吹は手始めに、自ら【遅刻について】訊ねる戦法を選ぶ。
「もしかして、遅刻したことを怒っていますか? でもそれは、ほらっ。ほんの数分ですし、ボクを待っている時間もなんだかんだで楽しかったんじゃ──」
「──そうじゃなくて」
おかしい。怒っているわりには、纏う雰囲気が柔和すぎる。
子ウサギのように甘いフェイスを作っていたのも、束の間。山吹は怪訝そうな目を、桃枝に向け始める。
「遅刻に対して、お怒りじゃない。……じゃあ、その不審な挙動の理由はなんですか?」
「あれ、だ。……お前、の。お前の、私服姿。初めて、見ただろ。……だ、から」
「『だから』?」
そっと、桃枝が顔を上げた。
「──可愛い、な。……お前、は」
……思わず、絶句。山吹はピシッと動きを止めて、桃枝の目をただただ意味もなく見つめ返した。
今日は動き回ると思い、動きやすさを重視した結果のラフな服装をチョイス。洒落っ気はなく、ゆるっとしたズボンに無地のパーカーだ。こんな恰好の男なんて、辺りを見回せばいくらでもいるだろう。
なのに、桃枝は山吹を褒めた。ほんのりと頬を染めつつ、山吹に見惚れたのだ。
「いつも、仕事終わりに居酒屋とか行ってた、だろ。だから、私服は見たことがなかったな、とか。とにかく、そういう感じだ。……悪かったな、ジロジロ見ちまって」
「あ、あぁ~……? えっと、えぇっと……?」
「いや、分かってる。気持ち悪いよな、いきなりそんなこと言われても。ただ、なんだ。……異様に、ときめいたっつぅか。ちょっと恰好が変わっただけで、こんなに動揺するとは俺自身も思ってなかったっつぅか。……とにかく、俺はヤッパお前が好きだなって。そう、思っただけだ」
「なぁ~、る、ほど……っ?」
言われている意味を、ようやく理解。桃枝が挙動不審になっていた理由も、ようやく把握。
この状況に順応しようと、山吹は思考を即座にフル回転。遅刻に対する反応を観察するという当初の目的は一旦、脳内から処分しよう。
褒められたのならば、褒め返すべき。相手の私服姿を見たのは、山吹とて同じこと。
ならば、山吹が遣うべき言葉も同じものだ。山吹は桃枝をジッと見つめ、まるで急かされたかのように、思ったことを口にした。
「──前髪を下ろした課長も、可愛いですよ?」
「──それはやめろ」
始まる、初デート。
……完全に、前途多難だ。
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