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 すぐに、桃枝は投げられた提案に対して頷く。 「あぁ、頼む」 「わぁ~っ、素直な受講生ですねぇ~っ」  絶大な信頼を向けられている。よほど、山吹から学んだコミュニケーション術がお気に召したらしい。  山吹はなんとか自分のペースに空気を持ち直したと自覚しつつ、講義を始めた。 「相手を傷つけるようなことを伝える場合、その発言に至るまでの理由も述べるべきですよ、課長?」 「……傷? 俺は今、お前を傷つけたのか?」 「ボクは全然。課長が意味もなく人を傷つけたがるような猟奇的な人間じゃないってことを、理解していますので」 「へぇ?」  どことなく『お前が分かってくれているなら、それでいい』と言いたげな反応だ。当然、山吹はスルーを選択するが。 「たとえば、書類の作成。課長はダメ出しをしますが、その書類には褒めるべき要素もありますよね? そして、課長が『ダメだ』と思うのには『いい』と思える【比較対象】があるはずです。そこも伝えてもらえると、部下としてはより親切に思えます」 「いいところなんて、作った奴自身が一番知ってることだろ。なんでわざわざ時間を割いて、分かり切っていることを再認識させるんだ?」 「人間は誰しも褒められたいものなんですよ?」 「そういうもんかね……」  トントンと、指がハンドルをつついている。腑に落ちていないのだろうか。  妙な部分で効率厨な桃枝からすると、分かり切っていることを【あえて、わざわざ】言葉にする時間がもったいないのだ。そう考えているのだろうと分かっているだけに、山吹は続けるべき言葉が咄嗟に思いつかなかった。  ……しかし、すぐに。 「──今日のお前を『可愛い』と言ったのは、いつものきちっとした恰好じゃなくて、ラフな恰好だったからだ。その緩さと普段の服装のギャップに、俺はグッときた」  桃枝は、山吹から教わったばかりの【処世術】を披露した。  すぐに山吹は顔を上げて、隣を見る。運転中の桃枝は当然、山吹の方を見ていなかった。 「……課長って、もったいない人ですよね」 「どういう意味だ、それ?」 「なんとビックリ、褒め言葉です」 「そうかよ。そいつは、どうも」  どうしてそう何度も、山吹に好意を伝えたがるのだろうか。理解に苦しむ。  この場合、媚びを売ることを目的とするのならば。山吹は貰った言葉に上乗せをして返事をすべきなのだろう。  だが、山吹の目的はそこにない。口説きたいわけでも、桃枝をさらに惚れさせたいわけでもなかった。 「それにしても、意外だな。お前、美術館とか好きなんだな」 「えっ? あぁ~、えっとぉ~。……似合わない、ですか?」 「人の趣味嗜好にケチを付けるつもりはない。単純に、お前にそんなイメージがなかっただけだ」 「それ、凄く遠回しに『似合わない』って言ってませんか?」 「言ってねぇよ。それはお前の被害妄想──……俺の言い方、なにか悪かったか?」 「こちらは傷付いていないので、ノープロブレムですよぉ~」  なぜだか、気分は授業のようだ。悪いところを直そうとする素直な桃枝の態度は、悪くない。  山吹は手にしていたスマホを眺めて、桃枝に美術館へのナビを始めた。

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