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 次に二人が向かったのは、映画館だ。  観衆が必ず泣くと絶賛の、感動映画。それを桃枝に見せるためだけに、山吹は映画館を選んだ。  生憎とそういった意味合いの心が壊れている山吹は、主人公やその恋人、親友や家族、果てにはペットが死ぬとしても泣かない自信しかなかった。流せる涙ならば、父親からの暴力に彩られた日常で使い果たしてしまったのだから。  だがここで、なんとしてでも感動している素振りを見せる。隣で惚れた相手が泣いている場合、この堅物がどうするのか。純粋に、興味があったからだ。  売店で飲み物を買い、いざ座席へ。隣同士の椅子に腰を下ろした後、山吹は桃枝を見た。 「映画、もう少しで始まりますね」 「そうだな」 「課長って、感動系の映画ってよく見ますか?」 「まぁ、たまに」  桃枝からの返事は、普通。この男が素っ気ないのは、普段からだ。  ……しかし、おかしい。妙に、上の空だ。  もしかすると、今度こそ桃枝にとってのバッドチョイスを選べたのかもしれない。これから始まる映画のジャンルとは真逆の方向に、山吹は心を弾ませた。  なんでもいい。どんなものでもいいから、なにか。なにか、本性を晒してくれ。……なんとも雑な願いを、山吹は桃枝に心の底からぶつける。  すると、その願いが届いたのか。不意に、桃枝が動いた。 「……なぁ、山吹」 「はい。山吹です」 「変なことを、言ってもいいか」 「お言葉ですが、課長。その質問が既に変ですよ」  確実に、様子がおかしい。……まさか、暗所恐怖症なのか。山吹は欠片程度に残る良心を引っ張り出し、桃枝を心配し始めた。  だが、桃枝から投げられた【変なこと】は、予想の斜め上。 「──手を、繋がないか?」  純情で、ピュア。印象は、そんなものだ。山吹は目を丸くしながら、コテンと小首を傾げた。 「て?」 「手、だ」 「て……」  アイ、ドント、ノウ。表情でそう訴えつつ、山吹が固まること、数秒。 「……あっ、手! 手ですか!」  ようやく言われている意味に気付いた山吹は、反射的に両の手の平を桃枝に向けた。  即座に、桃枝が狼狽える。予想外の反応に、羞恥心が煽られたのだろう。 「バッ、こ、声が大きい……ッ!」 「あっ、すっ、すみません、つい」  ようやく、合点がいく。薄暗く、注目がスクリーンに向けられるこの場所でなら、男同士で手を繋いでもなんら支障がない、と。そういう点に、桃枝は着目したのだろう。  確かに、こんなことを提案するような男ではない。言いづらそうに口ごもり、恋人からの問い掛けに対して上の空で返事をするのも、分かってしまえば納得だ。 「別にそれくらいいいですよ。はい、どうぞ」  山吹は笑みを浮かべて、桃枝からの提案を承諾。手を差し出し、握られるのを待つ。  あっさりと快諾された桃枝はと言うと、逆に目を丸くしているではないか。 「随分と、軽い反応だな」 「だって、手を握るだけですよね? なんてこと──……ん?」  そこで、ふと気付く。 「……あっ」  はたと、気付いてしまったのだ。  ──思えば山吹は、こうして手を繋いだ経験が皆無だった、と。

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