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差し出した手を、今さら引っ込めることはできない。山吹は、ピシッと固まる。
しかしそんな事情、桃枝が察せられるはずもない。差し出された手を握ることに、注意と勇気をフル稼働中なのだから。
「なら、遠慮なく。……握る、ぞ」
「ど、どうぞ……っ」
まさに、付き合いたてのカップル。図らずも【普通の恋人】らしいやり取りをしている実状に、山吹は動揺した。
ギュッと、桃枝に手を握られる。力強くはあるが、痛くはない。妙な気分だった。
「……なんか、落ち着かないですね。映画、集中できるでしょうか」
「それは悪かった。ヤッパリ、放すか?」
「このままでもいいですよ。課長の手汗なんて、全然気になりませんから」
「わ、悪いっ!」
「あははっ。冗談ですよぉ~?」
普段は事務所で黒い手袋をはめている桃枝だが、今日は素手。手汗が吹き出せば、丸分かりだ。
しかし『そっちこそ』と。仮に言い返されたら、どうしていただろう。山吹は笑みを浮かべながら、桃枝の顔を覗き込む。
「課長が手を放したくなったら、いつでも放してくださいね」
ぐっ、と。桃枝が露骨なほど動揺したと、山吹は理解する。
「そんなルール、設けるなよ。……放したくなるわけ、ないだろうが……っ」
とてつもない緊張感だ。手から伝わる動揺に、山吹の心も感化されたかのように震え始める。
……だがそれは、桃枝が持つ動揺とは違う。山吹には、桃枝と手を繋いだところで『嬉しい』という感想はないのだから。
それでも手を放さないのは、なぜか。……ただの、負けず嫌いかもしれない。
山吹は赤面している桃枝を眺めつつ、ニッコリと笑う。そうするとまた桃枝が動揺するのだから、愉快で堪らない。
「見すぎだ、山吹。前を向け」
「映画よりも、今の課長を見る方が楽しいかもです」
「馬鹿なこと言ってねぇで、いいから前を向けっての……っ」
「はぁ~いっ」
予定にはなかったが、なかなか悪くはない収穫だ。たかが手を握った程度で、ここまで狼狽えるのだから。
……それは、自分も同じだと。その結果、湧き上がる不快感があったとしても、桃枝の反応に対する愉快さが勝っている。
前を向くと、スクリーンには映画を見る際の注意事項が映し出されていた。コミカルに伝えられる禁止事項を眺めながら、山吹は上がる口角をどうにもできない。
ふと、魔が差した。完全に桃枝を揶揄うスイッチが入った山吹は、試しに桃枝の手を握る握力をギュギュッと強める。
「ッ!」
すぐに隣で、息を呑む音。声を出して笑いそうになるが、山吹はなんとか堪える。
「山吹、やめろ。映画に集中できなくなる」
「ごめんなさい、課長。……おもしろカワイクって、つい」
「可愛いのはお前だろ、馬鹿」
ポソポソと囁かれる叱責にも、山吹は笑顔で応対。サラリと好意を向けられるが、とりあえず保留だ。
手を握るなんて経験、セックスのときにあるかどうかくらいのもの。固定を理由としていない純然な手繋ぎは、山吹にとっても初めてだ。
胸が騒いで、落ち着かなくて、ほんの少しだけ息苦しい。……まったくもって、快感とはほど遠い気分だ。
それでもやはり、手を放すことができそうにはない。こうしている間はずっと、桃枝が動揺しているのだから。
これは、ちょっとした嫌がらせだ。そう理由を付けつつ、山吹は映画に集中することにした。
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