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もう一度、山吹は桃枝に頭を下げる。
「ボクに幻滅したのなら、振ってください。ボクは課長がそうすることで幸せになれるのでしたら、仮の恋人関係を課長からの一言で止めますから」
「なんで【お前から振る】って選択肢はないんだよ」
「課長に『卑怯だ』と罵られることを覚悟の上で白状すると、課長が初めてだったからです。セックスとか、そういう下心を抜きにしてボクとご飯を食べてくれたり、長時間一緒にいてくれたりした人が。……だからボクは、課長を手放したくないんです」
「それは……確かに、卑怯だな」
こう言えば、桃枝が複雑な顔をするのは分かっていた。……さらに言うのなら、桃枝が山吹を振れなくなるということも分かっていたのだ。
「それに、課長にとってのボクだってきっと、そんなものでしょう? 最初の一週間も特に恋人らしいことがなくて、この一ヶ月間もそうだったんです。ボクなんかとこまめに時間を共有するのはバカらしいとか、時間がもったいないとか……課長にとってもきっと、ボクはそういう相手だって気付いたとかなんでしょう?」
「それは違う。俺はただ、適切な距離感が分からなかっただけだ。関係が変わったから、どこまでいくとお前に『がっついている』と思われるのかが分からなくて、格好悪いと思われたくなくて。……結果、格好悪くなっただけだ」
「──だったら、ボクを痛めつけてください。父さんみたいにボクを殴って、蹴って、傷つけてください」
顔を上げて、山吹は桃枝の首筋に額を当てる。
そしてその体勢のまま、山吹は桃枝に懇願した。
「今までみたいに放置されるのは、イヤです。『かまってちゃんだな』と思われてもいいから、もっとボクにかまってほしいんです。……ボクが課長からの告白を受け入れたのは、課長と過ごす時間が楽しかったからなんですよ。これは、本心なんです」
「山吹……」
「課長の愛を信じられるように、ボクが知っている【愛し方】を、課長にはしてほしいんです。課長を、信じさせてください」
口にしてようやく、自覚する。どうして放置されていたことに腹を立て、初デートであんなにも空しい思いをしてしまったのかを。
山吹の価値観では、桃枝の言動が【愛】に当てはまらない。しかし山吹は桃枝を疑いたくはなく、心から『信じたい』と思っていたのだ。
だから、初デートでの挙動全てに落胆し、苛立ち、虚しくなった。父親から教わった【愛】と、桃枝が山吹に向ける【愛】は、なにもかもが違うからだ。
セックスを抜きにした交友関係を初めて築いた山吹は、その楽しさを手放したくなかった。桃枝のことは気に入っていて、課内で『桃枝専用翻訳機』と呼ばれても構わないと思えるほど、桃枝を幸せにしたかったのだ。
しかし、山吹は桃枝の愛し方を認められない。桃枝が向ける不器用な優しさを【愛】と認めてしまえば、幼少期の山吹が向けられた父親からの【愛】が嘘になってしまうのだから。
「課長……」
顔を近付けて、山吹は桃枝にキスを贈ろうとする。ムードを作り、そのままセックスにもつれこませるためだ。
性欲のみの感情を向けられるのは御免蒙るが、全くもって欲情されないのも困る。山吹は適度に、桃枝とセックスがしたかった。
我が儘だらけで、矛盾だらけの感情。山吹は自分が『面倒な男だ』と分かっていながらも、桃枝にキスをしようとして──。
「──それなら俺は、他の方法でお前に好きになってもらう。お前の価値観を広げて、その上でお前に愛してもらえるように、努力する」
──そう言い切った桃枝から先に、キスをされた。
ヘタクソなキスは相変わらずで、触れると言うよりは押し付けられたような口付けだ。不器用極まりない桃枝らしいキスに、山吹は目を丸くした。
「お前の言いたいことは、分かった。お前の恋愛に対する価値観も分かったし、それが根深いことも理解したつもりだ」
「それなのに、どうして……?」
「それでも俺が、お前を傷つけたくないからだ」
顔を離した後、桃枝は山吹を見つめてそう伝える。……その瞳を見つめ返せそうにない山吹は、気まずそうに顔を俯かせたが。
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