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 山吹自身が語る、幼少からの思い出。  桃枝の愛を信じられず、時には失念し、時には拒絶をする理由。内心ではずっと気になっていたであろう謎が解明されたというのに、桃枝の表情は晴れやかなものに変わらなかった。 「やっと分かってくれましたか? ボクは被虐性愛者とかじゃなくて、これでノーマルなんだって」  桃枝は肩に置かれた手を払うことも、ましてや握り返すこともできない。ただただ目の前にいる少年を見て、苦悶に眉を寄せるだけだ。  それでも、桃枝は山吹の価値観を変えようとしたのだろう。悲痛を訴えるような表情を浮かべている中でも、桃枝は山吹のことを【大事】にしたいのだから。 「なんで、だよ。……なぜだ、山吹……ッ! お前はそれが『間違いだ』って──」 「──【愛】に対するこの理論が間違いだとしたら、どうしてボクと母さんは父さんから毎日暴力を振るわれていたんですか?」  思わず、桃枝の言葉が詰まる。  仮にそれが、愛ではないのなら。母親が幸福そうに笑っていた理由も、山吹が必死に耐えてきた意味もなくなる。思い出の中の山吹家は、完全に死ぬのだ。  しかしそれが、本当に愛だったとしたら。山吹が抱く価値観は全力の肯定を受け、山吹はなおさら【優しさ】を信じられなくなる。  板挟みによる、葛藤。【幸せな思い出】と言う過去を切り捨てるか、未来を切り捨てるか……。桃枝には、即座に答えが出せなかった。  なにも言えないまま苦悶を続ける桃枝を見て、山吹は強硬手段に出る。 「お願いです、課長。ボクの母さんは交通事故で死んで、父さんも数年前に、病気で死んでしまったんです。……だから、お願いです。お願いします、課長」  山吹の思想は、変わらない。誰にも否定をされたくなくて、誰かに肯定されることでしか保てない幸福があるのだ。 「──ボクから【幸せな家族の記憶】を、奪わないでください……ッ」  だからこそ、山吹は父親が続けた暴力を『野卑な蛮行だ』と。そう、言われたくなかった。  山吹は桃枝の目の前で頭を下げ、縋るように俯く。そうすることでさらに縮まった距離に、普段の桃枝ならば面白いほど動揺しただろうが……生憎と今は、それどころではなかったようだ。 「だからお前は、酷くされたいのか? 父親からの愛情を正当化するために、思い出を美化し続けるために……そのためにお前は、これからも痛みや苦痛を選択し続けるのか?」 「理由は、説明した通りです。ボクは、山吹家の幸福を失いたくないんです」 「だが……っ」  桃枝の言いたいことが、手に取るように分かる。なぜなら桃枝は、優しい男だからだ。  山吹は顔を上げて、至近距離にいる桃枝を見つめた。 「それなら、言い方を変えます。……酷くしてくれないのなら、ボクは課長を好きになれません。課長の愛も信じられないし、ボクの愛を課長に向けることもできないです」 「っ! ……そう、か。そう、だよな」  桃枝が浮かべたのは、落胆したような表情だ。明確に『好意を持っていない』と言ってしまったようなものなのだから、当然だろう。  しかし、山吹は桃枝のことを嫌っているわけではなかった。どちらかに分類するのならば、桃枝のことは好きな部類だ。  だがそれは、桃枝が望むものとは違う。大前提に【優しくされた経験がない】山吹が、誰かに優しくできるわけがないのだ。  桃枝は、愛する山吹を傷つけられないと言った。つまり桃枝にとって暴力とは、楽しいものでもなければ幸福と結びつくものでもないということ。  どこまでいっても、山吹が知っている愛し方では桃枝を幸せにできない。平行線上を辿り続けると分かっている山吹には、桃枝を愛で幸福にしてあげられないのだ。

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