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 桃枝に乗りかかったまま、山吹は語る。 「ボクはですね、課長。子供の頃からずっと、日常的に暴力を振るう父親を見てきました。愛する妻を殴り、蹴り、時には物を投げて……。そういう環境で、ボクは育ちました」 「……っ」 「父さんは母さんへの暴力を終えた後、いつもこう言っていました。『俺がお前を殴るのは、愛情からだ』と」  おそらく、桃枝は気付いただろう。 「それに対して、母さんはいつもこう言っていました。『嬉しいわ、あなた。あなたにこんなにも愛されて、私は世界で一番の幸せ者ね』と」  山吹の【恋愛】に対する価値観が、どうして桃枝と違うのか。……その、理由に。 「これが、ボクが知っている【愛】なんです。両親がプレイの一環ではなく日常的に、酷く幸福そうにそう言い合っているんです。これが、ボクにとっての【常識】なんです」 「山吹、違う。それは──」  無論、桃枝が挟むのは否定の言葉だ。絶句したかのように言葉を失っていた桃枝は口を開き、山吹の語りを止めようとした。  だが、山吹は桃枝に対して予想外の言葉を遣い、桃枝の否定を遮ったのだ。 「──奇遇ですね、課長。『それは間違いだ』と。ボクもずっと、そう思っていましたから」  否定に対して、同意を示した。山吹は悲し気に微笑みながら、桃枝に向かって一度だけ頷く。 「自分の両親は、歪んでいる。いくら無知な子供だったとしても、周りを見ればさすがに分かっちゃいますよ。スーパーやコンビニにいる山吹家以外の家族には、痣がないんですもん。傷だらけなのは、ボクの母親だけ。なら、おかしいのは山吹家でしょう? それくらい、ボクだって分かっていました」 「そう、か」  安堵。桃枝が浮かべた表情と声は、まさにその二文字。  しかし山吹は、またしても予想外の言葉を口にした。 「──だけど、ボクの考えが『間違いだった』と。そう思い直すようになったのは、母さんが交通事故で死んだ後でした」  次に山吹が口にしたのは、最初に来ると思っていた否定の言葉だったのだ。 「日常的に振るわれていた暴力は、母さんが死んだ後も続きました。この部屋にはボクと父さんしかいないのに、どうして父さんが暴力を振るい続けたのか。……分かりますよね、課長? 矛先は母さんから、息子であるボクに変わったんです」 「山吹、やめろ……ッ」 「殴って、蹴って、物を投げつけて。みるみるうちにボクには痣が増えて、生傷も消えなくて。そうした日常の中で、父さんは毎日、ボクに言いました。『父さんが緋花を殴るのは、父さんが緋花を愛しているからだ』って──」 「──山吹ッ!」  悲痛に歪んでいるのは、当事者ではなく桃枝の方。痛々しく表情を歪め、まるで絶望の中心にいるかのような顔をしているのは、桃枝なのだ。  対する山吹は、やはり薄っすらと笑みを浮かべていて……。 「分かってくれましたか、課長。ボクは【暴力】がないと、ボクに向けられる【愛】を信じられないんです。課長が先ほど言ってくれた『大事にしたい』といった種類の【優しさ】とかは、信じられるわけがないんです」  山吹が、桃枝からの愛情を信じられない理由。山吹が、桃枝からの愛情を憶えているのに忘れてしまう理由は、単純で。 「『優しくしよう』と思って優しくしてくる人には、ヘドが出ます。そんなもの、周りから『いい人だ』と思われたいがための自慰行為じゃないですか。【評価される】という下心をオカズにした、自己満足と言う名のマスターベーションです。そんな性事情を見せつけられて興奮するほど、ボクはおかしな男じゃないですよ」  経験則からくる、刷り込みと思い込み。  これこそ、山吹が【愛】に対して必要以上に期待をし、必要以上に信じようとせず、必要以上に固執する理由なのだ。

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