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「──課長はよく、ボクにご飯を奢ってくれたじゃないですか。だからボクも、課長に喜んでいただけるご飯をお返ししたかったんですよ」  どこか恥ずかしそうに唇を尖らせながら、山吹が答える。 「……ん?」 「課長の看病をした日に、課長はボクが想定していた以上にボクの手料理を喜んでくださったので。ヤッパリ、一人暮らしだと誰かの手料理に飢えるのかなって。だから『課長にお弁当を作ってあげようかな』と。そう、思い立った次第です」 「は? ……んんっ?」  意味が、分からない。その一言すら告げられないほど、桃枝は困惑してしまった。  桃枝は一度、手のひらを山吹に向ける。『ちょっと待った』という意味のジェスチャーだ。理解をした山吹は、なにも言わずに待機する。 「……なぁ、山吹。まさか、お前が昨日、缶コーヒーをくれたのも……?」 「魚心あれば水心、ですね。コーラがあったのは予想外でしたが、それらしい口実になったので好都合でした」  突然『日頃のお礼です』と言ってコーヒーを渡すより、コーラと交換する方が山吹らしい。なにより、コーラに意識を奪われていた桃枝ならば反射的に受け取ってしまうだろう。実際問題、山吹の想定通りとなったわけだが。  一度、状況を整理しよう。昨日の缶コーヒーと今日の手作り弁当は、行動の起因に【桃枝への恋情】がない。悲しいことだが、事実だ。認めよう。認めなくては、先に進めない。  ならば、なぜ山吹はそんなことを桃枝にしたのか。それは、桃枝が山吹を愛しているからだ。  桃枝の好意に、山吹はなにかを返そうと思った。桃枝のアプローチを受けて、山吹は感謝の気持ちを伝えようとしたのだ。 「ボクは優しい男じゃないので、課長を翻弄することに愉悦を見出してはいますが。……気が向けばこうして、課長から向けられた気持ちに返礼しようとするときだってあるんですよ」 「いや、それがよく分からないんだが……?」 「だってボク、課長と過ごす時間が楽しいんですよ。だからこうして時々、課長を喜ばせます。そうすれば課長は、いつ貰えるか分からないご褒美を楽しみにしつつ、またボクに構ってくれるでしょう? ……なんて。そう言えば、ボクらしい口実に聞こえますか?」 「は? ん、んんっ?」  そう言うと、山吹は桃枝から顔を背けた。 「分からなくてもいいですよ。……それでは、ボクはお弁当を屋上で食べるのが最近のマイブームなので、これで失礼しますね」 「あ、あぁ。……弁当、ありがとな」 「いえいえ。お口に合うと幸いです」  ……たまたま、だろうか。『相手に自分の気持ちを伝えたい』と、山吹が桃枝と同時期に考えてくれていたのは。  たとえ【したいこと】が同じでも、桃枝と山吹では根底に在る【想い】が違う。山吹は、桃枝に恋情を抱いていないのだから。  それでも、桃枝は嬉しかった。山吹が気まぐれだとしても、桃枝のためになにかをしたいと思ってくれた事実が。  自分のデスクに戻ろうとした山吹がふと、足を止める。 「あっ、課長」 「なんだよ」 「デザートにボクが食べたくなったら、いつでも連絡くださいね」  山吹らしい挑発だ。または『揶揄い、弄び』とも言う。  桃枝は額に手を当ててから、深いため息を吐いた。 「……それ、他の奴には絶対に言うなよ。絶対だぞ」 「えぇ~? なんだかそのセリフ、お笑い芸人さんの振りっぽい──」 「──絶対に言うんじゃねぇぞ」 「──は、はい……っ」  ドスの利いた声と、貫くように鋭い視線。山吹はペコリと頭を下げ、即座に弁当を持ち出して事務所から出て行った。  一人残された桃枝は一度、意味もなく咳払いをする。その後、ゆっくりと弁当箱を開封した。  桃枝への嫌がらせを楽しむ山吹のことだ。ファンシーなキャラクターものの弁当を作る可能性も考えていたのだが……。 「普通にウマそうだな」  なんてことはない、シンプルな弁当だ。その素朴さがむしろ、桃枝としては高ポイントだった。つまり、何回目か分からない惚れ直しを意味する。  山吹の好意からではなく、厚意からの弁当。桃枝は両手を合わせてからこっそりとスマホで写真を撮り、ホーム画面に設定した。 4.5章【魚心あれば水心】 了

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