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翌日の午後。
「──山吹君、ちょっとええ?」
笑みを浮かべた黒法師が、桃枝ではなく山吹を呼んだ。
必要書類のコピーを取り終えた山吹は、いつの間にか隣に立っていた黒法師を見上げる。
「この書類のコピーが欲しいんやけど、コピー機のパスワードが分からなくてな? 打ってほしいんよ、パスワード」
「はい、分かりました」
当たり障りもなければ、発展性もない。イエスという返事だけをした山吹は、黒法師が持っていた書類のコピーを取る。
「両面コピー、ホチキス留めして三部お願い」
「いいですよ」
「おおきに。助かるわぁ」
正直、山吹は黒法師とあまり関わりたくなかった。それは桃枝からの言いつけと言う理由もあるが、それだけではなく……。
「君、入社してからずっと管理課なん?」
この、妙なコミュニケーションが苦手だった。
思えば、わざわざ山吹に名刺を渡してきた意味が分からない。山吹は監査に関係がなければ、たまたまあの場に居合わせただけだ。挨拶をされる理由はない。
なによりも、黒法師の表情。どことなく、底が見えない。
大抵の人間ならどんなことを考えているかくらい、山吹は軽く見透かせる。好意的か、そうではないのか……。そのくらいを見抜くのは、余裕だった。
しかし、黒法師は違う。なにを考えているのか、なにを思っているのか。黒法師の笑顔だけでは、なにも分からなかった。
「いえ、違いますよ。最初は融資課にいました」
「へぇ、そう。じゃあ、白菊──じゃ、なくて。桃枝課長との付き合いは浅いんやね?」
「……そうですね」
なぜそんなことを訊いてくるのだろう。コピーの設定を弄りながらも、山吹は淡々と答える。
「桃枝課長、怖いやろ? 愛想ないし、口も悪いし目つきも悪いし」
いくら学生時代の友人だとしても、今は監査をする側とされる側。そんな話を就業時間中にするのはいかがなものかと、山吹は咄嗟に思った。
だが、その疑念を悟らせてはいけない。黒法師を相手に、自分の心情を悟らせてはいけない気がするのだ。
「怯えている部下がいるのは事実ですが、ボクは平気です」
「ふぅん。そうなんや」
設定された通りに、コピー機が紙を吐き出す。カシャンという音を立てて、書類は一部ずつホチキス留めされていき……。
「──じゃあ、君が【桃枝専用翻訳機】なんやね」
まるで黒法師の言葉をかき消すかのように、コピー機は『役目を終えた』と言わんばかりにコピー終了の音を鳴らした。
いったい、誰がそんな話を。無論、山吹以外の人間だ。
そうなると、まさか桃枝が? 山吹は書類の原本を片手に、黒法師を振り返った。
「なんで、それ──」
「コピーどうも。また頼むわ」
山吹の言葉を遮り、黒法師は機械から出された三部の書類を手に取る。そのまますぐに、山吹が持っていた原本を手から抜き取った。
黒法師がその場を去ると同時に、他の管理課職員がコピー機に近付く。
「ブッキー、どうかした?」
「いえ、なにも」
「そう? じゃあ、コピー機使ってもいい?」
「はい、どうぞ」
コピー機から離れて、山吹は自分のデスクへと向かう。
……やはり、黒法師に近付くのは良くない気がする。妙な警鐘が内側で鳴る中、山吹は思わず眉を寄せてしまった。
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