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三月の監査期間は、僅か三日。それなのに、この三日間が山吹には異様に長く感じられた。
あまり用事はないが、なるべく二階には上がらないように。いつも昼休憩時に向かっている屋上にだって、監査士たちが部長と共に外へ出てから向かった。
さすがにここまでの警戒は、露骨だろうか。しかし、たかが職員一人がなにをしていようと監査士──黒法師には分からないはず。大前提に、山吹は今回の監査に関係ないのだから。
関係があるのは、係長職以上が主。何度か、会議室からの内線で桃枝は呼ばれていたが……そこに突っかかるのはよそう。無意味だ。
そうしてなんとかやり過ごし、三日目。二日目にコピーを一度頼まれただけで、それ以外は特になにもナシ。終業時間を迎えた山吹は終礼の後、誰に聞かせるわけでもなくため息を吐いてしまった。
なぜ、こんなにも警戒しているのか。言い様のない不安感を抱えたまま、山吹はデスク周りの片付けを始める。
「これで、あの人はいなくなる……」
ため息と同じく、誰に聞かせるわけでもなく。山吹は口の中で、心情を吐露した。
同じ建物に、黒法師がいる。そう思うだけで気が滅入るなんて、どうかしていた。桃枝と黒法師はただの同級生で、それ以上の関係はないのだから。
第一、桃枝と黒法師の間に【同級生】以上の縁があったとして。それがいったい、山吹にどう関係があると言うのか。
──桃枝に好意ひとつも返せていない、山吹に……。
「お先に失礼します。お疲れ様でした」
山吹は鞄を手に、事務所を後にする。
こんな日は、桃枝を揶揄って愉快な気持ちになりたいものだ。なぜか事務所に桃枝の姿がなく、飲みに誘うことはできなかったが。今の山吹は、桃枝と他愛のない話がしたくて仕方なかった。
擦れ違う職員に退勤の挨拶を送りつつ、山吹はタイムカードを切る。鞄の中にタイムカードをしまい込み、会社から出て……。
「……あれ?」
「あっ、山吹君。こんばんはっ」
なぜか、黒法師が立っていた。……桃枝と、一緒に。
「お疲れ様です。お二人で並んで立ち止まって、どうかしました?」
「あぁ、山吹か。いや、わざわざ気に留められるほどのことでもないんだがな……」
黒法師は相変わらずの笑顔で、桃枝は相変わらずの仏頂面。この二人が同級生で、しかも友人なんて。……かなりタイプが違うように見えるが、不思議なことに事実なのだから謎だ。
状況は分からないが、どうやら桃枝は困っているらしい。顔を見れば、そのくらいは分かる。山吹は桃枝たちに近寄り、小首を傾げた。
「今回の監査、僕以外にあと二人おったやろ? 折角やから『監査が終わったら三人で食事しよか』って話になったんよ」
「で、一緒に会食する予定だった二人に別件で用事が入ったんだとよ。だけど水蓮は、既に店の予約を三人分で取っちまったんだ」
「それで『誰か誘える人おらへん?』って白菊に訊いとったところなんやけど……ほら、白菊やもん。無理やろ?」
「否定はできないが、哀れむような目はやめろ」
なるほど、桃枝の表情が硬いのも納得だ。山吹は相槌の代わりに、頷いた。
それにしても、気に障る。友人だと知っていても、互いのことをファーストネームで呼び合うのは山吹からすると釈然としない。
単純に、自分にはそんな友人がいないからだろう。そう、山吹は心に生まれた不和に強引な理由を付けて、正当な不快感だと思い込む。
山吹のモヤモヤに気付いていない二人は、うぅんと頭を捻っている。ここはなにか、アイディアのひとつでも出した方が良さそうだ。山吹はニコリと笑みを作り、口を開く。
「それなら、部長にお声を──」
「──せや。それなら、山吹君。一緒に行かへん?」
「「──えっ?」」
まるで『名案やろ』と。そう言いたげに笑いながら、黒法師はパンと自身の両手を軽く叩いた。
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