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 観念したかのような、諦めモード。桃枝はゆっくりと、口を開く。 「……あるところに、上司と部下がいました」 「昔話風な導入ですね」 「お前が振った無茶ぶりだろ。いいから、黙って聞いてろ」  仕方なく、山吹は閉口する。  黙った山吹を見た後、桃枝は【楽しい話】を続けた。 「部下は可愛らしく、お酒に興味津々な十九歳です」 「えっ、なんで気付いて──……いえ、なんでもないです。続けてください」 「あぁ。……上司はある日、そんな部下と食事に来ていました。コロコロと表情が変わる部下が隣に座っている中、上司はのんびりと食事を楽しみつつ、無茶ぶりであろうと、可愛い部下との会話を楽しむのでした」  ……。……続きが、紡がれない。山吹は目を丸くして、桃枝を見る。 「えっ? 終わり、ですか?」 「【楽しい話】が、オーダーだっただろ」 「そう、ですけど……?」  すると、不意に。 「俺が今『楽しい』と思っている話だって、ちゃんと【楽しい話】だろうが」  黒い手袋を脱いだ桃枝の手が、山吹の頭を優しく撫でた。  ドッ、と。一度だけ、山吹の胸が詰まる。桃枝の目が、優しい色をしていたからだ。  山吹は視線を落とし、桃枝から目を逸らす。 「ちょっと、課長。ボクの頭、撫でないでください」 「……そう、だったな」  答えに、妙な違和感。山吹はもう一度、桃枝を見上げた。 「なんですか、課長。その、キョトンとしたお顔は」 「いや、驚いたからだが」  いったい、なにに。山吹の顔は、桃枝にそう訴えていたのだろう。すぐに、桃枝は答えを続けた。 「いつもならお前、俺の手を振り払うなり俺から距離を取るなり、分かりやすく俺を避けるだろ。けど、今日は違う。ただただ居心地の悪そうな顔をするだけで、俺の手から離れようとはしていない。……それに、驚いた」 「……なん、ですか、それ。課長はボクに、避けてもらいたかったんですか」 「いいや。むしろ、逆だ」  落ち着かない。そう自覚したところで、もう遅い。 「──俺とのスキンシップに、少しずつ慣れてきたのかと思ってな。嬉しいんだよ、純粋に」  桃枝が嬉しそうに目を細めて、再度、山吹の頭を愛おしそうに撫でるから。 「なっ、にを……言って……ッ」  ──山吹の頬に、不必要なほど熱が集まってしまった。  それでも、逃げられない。指摘された後に逃げると、それは妙な敗北感に繋がりそうだったからだ。山吹はただただ、顔を俯かせるしかできなかった。  山吹の頭を撫でたまま、桃枝は言葉を続ける。 「さっき……水蓮の奴、変な話をしてただろ。嫁が、どうのって」 「えぇ、していましたね」 「そのこと、なんだが。お前に、謝らなきゃいけないことがある」 「……えっ」  堪らず、山吹は顔を上げてしまった。  黒法師が放った『嫁』という単語に対する、山吹への謝罪。咄嗟に、山吹の胸に不安感が奔る。  まさか、別れ話──。 「──悪い、山吹。真っ先に、お前との挙式を想像した」  ……では、なく。  なんとも桃枝らしい言葉が続き、山吹はポカンと口を開けてしまった。  実に、拍子抜け。しかし桃枝本人は、至って真面目な様子だ。 「愛想が良くて、可愛い嫁なんて。俺には、お前しか思いつかない。だから、悪かった」 「その謝罪って……もしかして、妄想の中でボクにウエディングドレスを着せちゃった~、とかですか?」 「悪い、山吹。俺は白無垢派だ」 「ホント、課長ってむっつりさんですよね」  今度は、真っ直ぐと桃枝の顔を見られる。  なぜなら桃枝も、うっすらと顔を赤くしているのだから。

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