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 完全に、無意識だった。山吹は慌てて、桃枝の袖から手を放す。  だが、二人の視線は山吹に向けられている。早く、現状に対する言い訳をしなくては。山吹は必死に、頭の中から言葉を生成する。 「……ボク、も。ボクも、課長から飲み物を貰いたいです」  苦しい、あまりに苦しい。山吹は本気で、時間を巻き戻したくなった。贅沢は言わないので十秒ほどだけでも、と。  黒法師はなにかに気付いている様子だが、桃枝は違う。難しい顔をしたまま、山吹を見下ろしている。 「なんだそれ。別にそれくらい、いつでも言えっつの」 「あらぁ~? 桃枝課長? それ、贔屓やないの?」 「贔屓じゃねぇよ。労いだ」  なんとか、誤魔化せたようだ。黒法師が生き生きしているようにも見えるが、誤魔化せたはずだろう。……誤魔化せたと、山吹は信じたい。  結局、黒法師はコーヒーを。山吹はコーンポタージュを、自販機で買ってもらった。そのまま桃枝と山吹は黒法師に道案内をし、無事に部長たちと合流させる。 「ったく、迷惑な奴だな。甘いものを強請ってる場合じゃねぇだろうが」  案内を終えて管理課の事務所に戻った後、桃枝がぼやく。  すぐさま桃枝はデスクに戻り、弁当──ではなく、クッキーに手を伸ばした。 「ご飯前に、クッキーを食べるんですか?」 「本当は取っておきたいが、また変なタイミングで水蓮が出てきても面倒だからな。先にこっちを食う」 「そうですか」  ならばと、山吹も食前にコーンポタージュを飲む。プルタブを引き、缶に口を付けた。  甘さが口に広がり、温かさにほっこりと落ち着く。  やはり、黒法師は困った男だ。こちらから接するつもりが皆無でも、神出鬼没に現れるなんて。  そこで山吹は、どことなく嬉しそうなオーラを放ちながらクッキーを齧る桃枝を見下ろした。 「課長って、おバカさんですよね。お菓子をあげただけで面倒な仕事が減るなら、安いものじゃないですか」  渡すつもりがないと主張されて、嬉しかったくせに。いつから自分はこんなにも面倒なツンデレ属性持ちになったのかと、気分が滅入ってしまう。  桃枝は包みから星型のクッキーを一枚取り出し、それから山吹を見上げた。 「俺はそう思わないな。なにを天秤に掛けたって、傾くのはこっちだ」  そう言い、手にしたクッキーを見せる。その後、桃枝はクッキーを口に放った。 「ホント、おバカさんですね」  嬉しそうに、誇らしげに。珍しく柔らかな雰囲気を放っている桃枝から、山吹は距離を取る。  ……頬が、熱い。きっとそれは、貰ったコーンポタージュのせい。そう決めつけてから、山吹は自分も昼食にしようと思い──。 「そうだ、山吹」 「はっ、はいっ。なっ、なんですかっ?」  桃枝に呼び止められて、またしても胸の辺りが騒ぎ出した。  まるで飼い主に呼ばれた犬のようだ。飼ったこともない犬の気持ちなんて、露ほども知らないが。  不整脈じみた状態に陥りながらも、山吹は桃枝を振り返る。 「さっき、俺の袖をつまんだだろ? それが、な。……その、可愛かった、から。今後もしてくれると、俺としては嬉しい」  まさかの、おかわり。クッキーではなく、行動に対する。 「かっ、考えておきます……っ」 「そうか。可能なら、前向きに頼む」  山吹はそれ以上なにも言わず、若干だが足早に自分の鞄から弁当箱を取り出した。  袖をつまんだのは、甘えたかったからではない。ましてや、可愛がられたかったからでもなかった。  黒法師と二人きりにしたくない、なんて。そんなこと、思っていいはずがないのに。咄嗟の行動を心底反省しながら、山吹は屋上へと向かった。

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