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 思わず、眉が寄る。しかしそれは、桃枝も同じだったようだ。 「えぇっ、なんでや? 二人して、なんで僕のこと睨むん?」 「俺はもとからこういう顔だろ」 「ボクももとからこういう顔ですよ」 「白菊はそうやけど、山吹君はもっと可愛い顔しとったやろ」  突然現れた男──黒法師は、端正な顔で苦笑を浮かべる。  クッキーが入った包みを持ったまま、桃枝は黒法師を見上げた。 「そもそもお前、なんでここにいるんだよ。昼は部長と外に行くんじゃないのか?」 「お手洗いに行って迷子になってしもた。出入口ってどこや?」 「お前は……」  確か、自分を『方向音痴』と言っていたような。一ヶ月前に来たなんて、関係がないらしい。黒法師は正真正銘、方向音痴なのだろう。それかわざと、ここに来たのか……。  迷子だというのに、黒法師はやけにのんびりとしている。焦りはおろか、そもそも『人を待たせている』という自覚もなさそうだ。綺麗な笑みを浮かべて、黒法師は桃枝に近付いた。 「僕も監査して疲れとるんよ。甘いもの、ちょうだい?」 「これはそこまで甘くないぞ」 「そういうのも好きやで。……あっ、それなら交渉しよか。それくれたら、指摘事項を少し減らしたるよ。監査の目を甘くしたる」 「それは賄賂じゃねぇのか」 「ちゃうよ、気持ちの問題や。嬉しくて、フワフワした気持ちになるかもなぁ。気が抜けて、集中力もなくなって、仕事がゆるぅ~くなってまうなぁ」 「そうか」  内心で、山吹は騒ぐ。『それは桃枝のために作ったものだから、他の人にあげないでほしい!』と。  だが、言えない。言ったら最後、黒法師が嬉々として山吹にちょっかいをかけるだろう。むしろ、このやり取りはそこに至ろうとしている布石のようにも思えた。  桃枝の答えを、誰よりも山吹が気にしている。おかしな意味合いで注目されているとも知らずに、桃枝が出した答えは……。 「──賄賂なんて下種なこと、冗談でも口にすんな、疎ましい。……けど、同級生のよしみで飲み物くらいなら買ってやる」  あまりに、桃枝らしい。山吹はすぐに、安堵してしまう。  面白くないのは、黒法師だけ。明らかに不満そうな顔をしている。 「えぇ~っ? 僕、そのお菓子がええんやけど?」 「お前は疲れが取れる甘いものならなんでもいいんだろ」  桃枝は包みを弁当箱の隣に置き、椅子から立ち上がった。 「これは世界で一番、俺が欲している。だから、誰が相手でもやらねぇよ」  桃枝の答えを聴き、きゅうっ、と。山吹の胸が、甘く強く締め付けられた。  同時に、頬に熱が溜まっていく。こんな姿を見られては、黒法師にとって最高の獲物だ。山吹はフイッと、不自然さ全開だと自負しつつも顔を背けた。  きっとこの状況は、黒法師にとって楽しくないのだろう。それか、幾ばくかは『自分が迷子』という申し訳なさがあるのかもしれない。 「まぁ、ええか。じゃあ同級生のよしみでコーヒー奢ってや。微糖のやつ。ついでに、出入口まで案内も頼みたいんやけど」  意外にも、話題はすぐに打ち切られた。  黒法師の頼みを聴いて、桃枝は立ち上がる。 「どっちかと言わなくても『ついで』がメインだろ、馬鹿が。……って、ん?」  このままでは当然、桃枝は黒法師を会社の出入口まで案内するだろう。桃枝と黒法師は、友人なのだから。  そうとは、分かっている。山吹は、分かっているのに……。 「な、なんだよ、山吹。どうした?」  咄嗟に、桃枝の袖を引いてしまったなんて。こんなこと、あってはならない大失態だ。

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