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落ち着かない土日を終えて、それからまた数日経って、水曜日のこと。
始まってしまった監査には極力関わらないようにし、自分のデスクからも最低限移動しないようにしながら、山吹は午前を乗り切った。
監査は、水曜日から金曜日までの三日間。前回と同じ日程だ。仮に最終日、またしても『食事に行こう!』と誘われたって同行しない。対策は完璧なはずだ。
水曜日の、午前中。山吹は視界の端にも黒法師を捉えることなく、昼休憩までを乗り切った。
──しかしこの昼休憩には、山吹にとって大いなる課題が課されている。……黒法師は全く関係がない、セルフのものだが。
「課長、これ。お弁当、です」
「どうも。思えば、山吹からの弁当月間もあと一週間か」
「そ、そう、ですね」
素直に弁当箱を渡した後、いつもなら山吹は『それでは』と言って、桃枝から離れる。しかし今日は、離れる気配がなかった。
桃枝は表情が変わっていないものの、嬉しそうに弁当箱を受け取る。それからすぐに、山吹を見て小首を傾げた。
「どうした? 他にもなにか用事か?」
「えっ。えっと、その……っ」
「あるみたいだな。なんだよ」
弁当箱をデスクに置き、桃枝は山吹と向き直る。そうして真っ直ぐ見つめられると、心臓がバクバクと騒ぎ出すから困ったものだ。
だが、鼓動を騒がしくしている場合ではない。山吹は意を決し、ポケットから包みを取り出した。
「その、今日から監査も始まりますし。課長がお疲れかなと思って、お菓子を持ってきました。あと、車で送ってくれたお礼も兼ねて……みたい、な」
ボソボソと告げられる言葉だが、距離が近いということもあり桃枝の耳には正しく届いている。
差し出された包みを素直に受け取り、桃枝はほんの少しだけ申し訳なさそうな顔をした。
「気を遣わせて悪かったな。けど、俺は甘いものが──」
「あっ、大丈夫ですよ。甘さ控えめで作りましたので」
「……もしかして、手作りか?」
「はい。そう、ですけど……」
まさか既製品だと思われていたとは。料理上手なアピールをしていたつもりだが、まだまだ【山吹】と【手作り】はイコールで結ばれていないらしい。……若しくは、山吹がそこまでするとは思われていないだけか。
すぐに、桃枝は包みを開く。弁当箱よりも、先に。
「クッキーだな」
「はい、クッキーです」
「可愛い形だな。星がある」
「型がないので完全自己流の成形ですが、自信作です」
チョコと同じく、どうしてもハート型だけは作れなかったのだが。当然、それは言わない。星型はできてハート型は作れない理由を訊ねられたら、答えられないのだから。
退散するタイミングを失い、山吹は落ち着きなくモジモジとその場に立ち続ける。桃枝は包みの中を眺めて、そこから星型のクッキーを一枚取り出して……すぐに、食べた。
「ん、ウマい。お前は本当に、なにかを作るのが巧いな。甘さも、丁度いい。……ウマいよ、本当に」
「っ! そっ、そう、ですかっ」
嬉しい、嬉しい、と。桃枝からの感想を素直にそう感じた山吹は、パッと笑みを浮かべた。
だが、これでは終わらない。山吹にはまだ、やらなくてはいけないことがある。
今すぐ、謝ろう。黒法師に『恋人がいない』と嘘を吐いてしまったことを。
「あの、それで。課長、この前は──」
きっかけも、見ようによっては賄賂的存在な物も十分。山吹は口を開いて──。
「──なんや、ええもん食べてるなぁ」
「──っ!」
すぐに、紡ぐべき言葉を息と共に呑んでしまった。
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