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 シャワーを浴びて、髪を乾かしてから。山吹は桃枝から貰ったパンダのぬいぐるみを、むぎゅっと強く抱き締めた。 「あ~、落ち着く。シロはいい子だね、カワイイね、天才だね」  柔らかな肌触りに、心を癒す抱き心地。山吹はすっかり、パンダのぬいぐるみ──シロにメロメロだ。  シロを抱いたまま、山吹は床に寝転がる。それから山吹は、天井を見上げた。 「来週から、監査かぁ。黒法師さん、また来るのかぁ……」  黒法師が現れてから、早くも一ヶ月。これだけの時間を使っておきながら、桃枝との関係性は足踏みをしていただけ、なんて。自分の無力さと矮小さに、嫌気が差しそうだ。  シロを抱き上げ、山吹はジッと目を見つめる。 「ねぇ、シロ。ボクって、カワイイ? ……うんっ、緋花くんは世界で一番カワイイよっ! 課長さんもメロメロだねっ、首ったけだね! ……だよねっ! ボクもそう思うっ!」  一人、二役。裏声を出し、あたかもシロが喋っているかのように振る舞う。  すぐに山吹はシロの腹に顔を埋め、力なく「ボク、バカだ~」と呟いた。 「もう、あの人には振り回されないぞ。もしも、また『付き合ってる人おる?』って訊かれても、その時は……」  訊ねられた、その時は。……続く言葉が、咄嗟に出てこない。  桃枝は、素直に答えた。しかし、相手までは言っていない。  だとしても、黒法師は勘付いているだろう。若しくは、山吹になにかしらの揺さぶりをかけただけかもしれない。……どちらにせよ、黒法師の目的が分からなかった。 「なんであの人は、課長だけならまだしもボクにもちょっかいをかけるんだろう……?」  なにか、気に食わないことをしてしまったのか。それはない。長く付き合えばボロが出てしまうとしても、初対面の相手にマイナス印象を抱かれた試しがないからだ。初動に問題はないと言う確信がある。  ならば、なぜ。やはり、考えても分からない。  可能性として浮上するのは、たったひとつだけ。 「ねぇ、シロ。黒法師さんも、課長のことが好きなのかな?」  シロを抱き締め、独り言の声量で呟く。無論、シロからすると『会ったこともありませんが?』という答えに尽きるのだが。  そこで、ふと。 「んっ? 今、ボク……」  黒法師さん、の、後。山吹は、いったいなんと言った? 部屋の中で溶けた呟きに気付いて、思い返してから……。 「──きっ、気分転換をしようっ!」  シロを抱いたまま、山吹は素早く上体を起こした。 「決算の次は監査だし、課長もお疲れだよね! よっ、よ~しっ! お弁当以外にも課長のためになにかできないか、この土日で考えるぞっ! 部下として! 上司のために! だから、他意なんてないもんねっ! ねっ、シロ!」  まるで無意識下の呟きを打ち消すかのように、山吹は慌てふためきながら独り言を続ける。 「今日は車で送ってもらっちゃったし、それのお礼もしなくちゃだよね! ねぇ~、シロ? お礼は大事だもんね~っ?」  あくまでも、シロに言い聞かせるかのようなパフォーマンスをしながら。山吹は強引に、シロしか聞いていない呟きをなかったことにした。

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