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 いや、相合傘はないだろう。さすがの山吹も、自分の発言に心から引いた。  社会人歴、二年目。二十歳目前の男が、いったいなにを強請っているのか。山吹はすぐに、桃枝から顔を逸らしたくなった。 「はッ? あッ、あい……ッ。お前っ、また俺を揶揄って──……っ?」  動揺しているのは、桃枝も同じ。顔を赤くした後、すぐに桃枝は厳しい表情をして……それから、言葉を詰まらせた。 「す、すみ、ません。なに、言ってるんでしょうね、ボク」  距離を詰めようとして、突拍子もないことを言って、困らせて。こんなにも自分は駄目な男だったかと思い、山吹は桃枝から視線を下げた。  自己嫌悪と、チラつく父親の姿。やはりどうしたって、山吹は誰かに甘えられない。健全に、距離を詰められないのだ。そう、痛感してしまった。  甘えて困惑させると、すぐに父親との【思い出】が脳裏に広がる。どうしたって山吹は、父親から逃げられなかった。  山吹が、悲しそうに俯いている。それを見て、桃枝はさらに言葉を詰まらせて……。 「──駐車場まで、くらいなら。構わない、が……っ」  そして、山吹を甘やかすのだ。  慌てて、山吹は顔を上げる。しかし顔が赤くなっている桃枝からは、すぐに目を逸らされた。 「えっ? でも、傘……ふたつ、あるんですよね?」 「一本のフリをする。二本持っているって事実は、俺とお前しか知らないからな。だからこれは、嘘でもなんでもない」 「だけど、相合傘なんてしたら狭いですよ? 肩とか、ぶつかっちゃうかもしれません」 「そうだな、嬉しいな」 「いえ、その返しはおかしいかと……」  桃枝は決して目を合わせないが、オーラで『それ以上詰め寄るな。こっちだって恥ずかしいんだぞ』と訴えている。山吹はその場でそっと、俯く。  本当は、怖かった。強請って、求めて、その後で拒絶をされるのが。  本当は、恐ろしかった。桃枝は違うと思い込んで、その後で今までの相手と同じようにされることが。  そして、認めたくなかった。本当はとっくに、桃枝への気持ちに名前が付けられそうな自分自身に。 「あ、の。……あの、課長っ。ボク──」  これ以上、背けてはいけない。山吹はもう一度顔を上げて、桃枝を見て──。 「──そう言えば、来週また監査がある。水蓮が来るから、気を付けてくれ」  照れ隠しゆえの、話題。桃枝が放った言葉に、山吹はそれ以上、言葉を続けられなかった。  なぜなら山吹は、黒法師の名を出されて……今さらながらに思い出したのだから。 『──い、ない……です。そんな、相手……っ』  まだ、山吹は謝っていない。桃枝の前で、黒法師に嘘を吐いたことを。……恋人がいない、と。そう、言ってしまったことを。  そもそも、事態はなにも好転していない。首を絞めるよう誘導したことも、結果的に桃枝を酷く傷つけたことも、言ってしまえば全てが【保留】状態。なにひとつ、解決していないのだ。  身勝手極まりない言動で桃枝を遠ざけようとしたくせに、いったいなにを言おうとしてしまったのだろうか。冷静になった山吹は、桃枝を見上げる。 「は、い。関わらないように、気を付けますね」  返事をすると、桃枝が「頼んだぞ」と言ったから。山吹は無邪気な笑みを浮かべてみせるくらいしか、できることがなかった。  それから、本当に一本の傘で駐車場まで歩いて、二人きりの車内で他愛もない話をして、事務所に戻る桃枝に手を振って……。現状を正しく見つめ直した山吹は部屋に戻ると、自嘲気味な笑みを浮かべて呟いた。 「立場を弁え直した方が、今まで通りに接せられるなんて。ホント、ボクって……ダメな奴、だな」  どうして、玄関で靴も脱がずに蹲ってしまっているのか。深く考えようともしないまま、山吹はため息を飲み込んだ。

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