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 場所は変わって、居酒屋。普段から桃枝と来ている場所とは違う居酒屋に戸惑いつつ、山吹はメニュー表を眺めていた。 「ブッキーって、苦いの嫌いだったっけ? じゃあいきなりビールはキツイかなぁ」 「そうなると、サワーとかカクテル系だよね。甘くて飲みやすいのって、どれだろう。私いつも、ビールとか日本酒しか飲まないからなぁ」 「なかなかそれは、攻めていますね」  先輩たちの話を聴きながら、山吹は悩む。正直、メニュー表に書かれた名前だけを見てもピンとこない。  職場から居酒屋に移動し、数分。そろそろ山吹は、この光景に慣れを感じていた。  ……そう。 「えーっと。……そ、それじゃあ、桃枝課長にも訊いてみよっか」 「そ、そうね。桃枝課長はなにか、オススメありますか?」  この場にいるのは、山吹と先輩二人だけではなかった。 「俺の?」  意外なことに今、桃枝が山吹以外の部下とも居酒屋に来ているのだ。  とは言っても、誘ったのは山吹だった。軽いノリで『課長も一緒に来ますか?』と誘いはしたものの、きっと断られると思っていたからだ。その勢いで、山吹も先輩からの誘いを断ろうとしていた。  しかし、返ってきた答えはまさかの『イエス』だ。その結果、四人はこうしてひとつのテーブルを囲っている。  まさか、桃枝が誘いに応じるなんて。予想外ではあったが、この状況が不快ではない自分にこそ驚いてしまう。山吹はメニュー表から顔を上げて、隣に座る桃枝を見上げた。 「いや、俺も普段はそういうのを飲まねぇから──……ん?」  山吹が、ジッと桃枝を見つめている。それはもう、熱心に。 「なんだよ」 「いえ、別に」  山吹は未だに、桃枝を見つめたままだ。真っ直ぐな瞳に、桃枝の頬は薄く熱を帯びてしまう。  ようやく山吹は桃枝から視線を外し、メニュー表を見つめる。それから、ポツリと呟いた。 「──ボクのハジメテは、課長がいいなって……」 「──ッ!」  酒、と言う意味だ。しかし桃枝は息を呑み、周りの二人はなぜか瞳を輝かせた。 「そうだよな! ブッキーは【桃枝課長専用翻訳機】って呼ばれるくらいだし、桃枝課長のこと大好きだもんなっ!」 「桃枝課長、お願いしますっ! ブッキーちゃんにオススメを選んであげてください!」 「はっ? いっ、いやっ、俺は甘いのを飲まないんだが……っ」  なぜか三人分の、輝いた瞳。こうした飲み会で話題を振られること自体が珍しいのに、そのうえ期待までされるとは。桃枝は当然、戸惑ってしまう。  だが本来、桃枝は心優しい部下想いの青年だ。三人から期待をされているのに『応えない』とは、考えなかった。 「……前に、役職員の飲み会でここに来た時」  メニュー表を見ている山吹に寄り、黒い手袋をはめた指をそっと伸ばす。 「酒にあまり強くない奴が頼んでたんだが……ソルティドッグは、飲みやすそうだったぞ。グラスの縁に、塩が付いてる」 「お塩ですか? なんでです?」 「知るか。俺は酒に詳しいわけじゃねぇ」  トンと、桃枝の指がメニュー表の【ソルティドッグ】と印刷された部分を指す。 「それと、このブルーハワイってやつ。これは甘くて飲みやすいらしいぞ。あと、色が青色で綺麗だとかって盛り上がってた……気が、する」 「青色のお酒、ですか?」  山吹はメニュー表から顔を上げて、桃枝を見る。 「……課長。【フルニトラゼパム】って知ってますか?」 「フル、トラ……? なんだ、それ? カクテルの名前か?」 「なるほど。……いいえ、なんでもありませんっ」  寄った桃枝の体温になぜか安心しつつ、山吹はニコリと笑みを浮かべたのだが。当然、桃枝にはその笑みが意味する心情に気付けなかった。

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