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 桃枝と、視線が絡み合う。ジッと見つめられた山吹は、さらに顔を赤くしてしまった。 「あ、えとっ。課長に、そんな……ジッと、見つめられると……っ」 「『見つめられると』なんだよ」  モジモジと、山吹が縮こまる。桃枝はほんの少しだけ席から身を乗り出し、隣に座る山吹との距離を詰めた。近付いた気配を感じ、山吹がさらに縮こまると分かっているくせに。  桃枝が、自分を熱く見つめている。山吹は期待の籠った眼差しでそっと、隣に座る桃枝を見て……。 「──勃起、しちゃいそうです……っ」 「──さすがにそれは嘘だろ」  素直な感想に対し、まさか理解の放棄とは。山吹は露骨なほどショックを受けた。 「エッチな男は……嫌い、ですか?」 「この場合の論点はそこじゃねぇ。第一、俺はなんて答えたらいいんだよ。笑えばいいのか? 怒ればいいのか?」 「──課長に『はしたない子だな』と怒られてはみたいです……っ」 「──そんな夢は即刻捨てろ」  その気にさせたくせに、なんて冷たいのか。山吹はシュンと落ち込み、先ほどとは別の意味で縮こまる。 「課長は酷いです。そんな冷たいことを言うなら、このストローをいやらしく舐めますよ? いいんですか? せっかくの映画、集中できなくなっちゃいますよ?」 「なッ。ひ、卑劣な……ッ」  さぁ、謝罪を口にするか、それとも山吹が希望した言葉を述べるのか。ワクワクと胸を弾ませる山吹を見て、桃枝が出した答えは……。 「だが不思議と、俺には『悪いことをした』という気持ちが欠片も湧いてこないんでな。俺は、嘘を嫌う。ゆえに、心にもない謝罪はしない。以上だ」 「相手が誰であろうと、自分のポリシーは捨てない。カッコいいです」 「……。……クソッ、はしたないお前も好きだっつの」 「ありがとうございますっ」  好意だった。山吹も、これにはご満悦である。  どう足掻こうと、桃枝は山吹には勝てなかった。惚れた弱み云々ではなく、ある意味で人間としての器用さかもしれない。  ……だが、それは以前までの話だ。 「俺はお前には敵わないな。気付けばいつも、お前のペースに乗せられている気がする。……だが、それを俺は『心地良い』と思っちまってるんだから、救えねぇな」 「えっ。心地良い、ですか? ボクにペースを、乱されて」 「あぁ。お前は今、俺と真剣に向き合ってくれてるんだなって。お前の中には今、きちんと俺がいるんだなって。そう思うんだよ、俺は。だから、これからも俺を乱してくれ」 「は、う……っ。うっ、うぅ……っ!」  桃枝に対する気持ちに名前を見つけた山吹にも、桃枝と同じく【惚れた弱み】というデバフが適用される。  気持ちが、分かってしまう。桃枝にペースを乱されて不服なはずなのに、そんな居心地の悪さが次第に『悪いばかりではないかも』と、山吹は思い始めているのだから。 「こ、これからもジャンジャン、課長のペースを乱してあげますよ。ボクを相手に狼狽える課長は、そのっ、こっ、滑稽ですからね」 「あぁ、分かった。これからも、お前に踊らされる俺を見てくれていいぞ。価値があるかは分からねぇが、お前だけの特権だ」 「っ! へっ、変な課長ですねっ。まったくもう、まったくもうっ」  強がっても、平静を装っても。浮かれる心は、どうにもできない。  誤魔化すようにストローに口を付け、山吹はコーラを啜る。そうすると隣で「間接キスだな」と桃枝が揶揄ってきたものだから、すぐに山吹はキッと睨みを送ったのだが……。  言うまでもなく、桃枝には『可愛いな』と言いたげな眼差しを送られただけで、ノーダメージだった。

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