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 映画の上映が始まり、山吹と桃枝は静かにスクリーンを眺める。  なかなか、渋い設定の作品だ。ハードボイルド、というものだろうか。普段の山吹なら見向きもしない作品ジャンルだが、不思議と胸が躍った。……隣に、桃枝がいるからだろうか。  などと、無粋なことを考えている場合ではない。山吹はポップコーンを極力音を立てないようにして食べつつ、物語に没頭した。  念のため、上映前に桃枝へ『ポップコーンはいつでもつまんでいいですよ』と伝えていたのだが、桃枝はジッとスクリーンを眺めて動かない。  指でも触れたら、なんて。そんな下心を持って提案したのだが、通じなかったらしい。  ……いけない。またしても、桃枝のことばかり考えてしまった。山吹は緩く首を横に振った後で再度、スクリーンを眺める。  細かく作り込まれた作品だな、と。山吹は素直な感想を抱く。勿論、プラスの印象だ。前回の映画デートでは一度も抱かなかった前向きな感想に、山吹自身でも驚きだった。  物語はどんどん進んでいき、おそらく本作一番の山場に到達。主人公が、傷だらけの恋人を抱き締めている。 「……あっ」  思わず山吹は、小さな声を漏らす。本当に小さくて、隣に座る桃枝にしか聞こえないほどの声量で。  なぜなら山吹は、驚いてしまったのだ。自分自身の、大きな変化に。  今なら、分かりそうだった。恋人と過ごした思い出を宝物のように特別な気持ちで大切にする気持ちも、無残なほど傷付いた恋人の姿に嘆く主人公の気持ちも、全部。  分かると同時に、山吹の頬に涙が伝う。前回の映画では館内で唯一と言っていいほど泣けなかった山吹の頬に、温かな雫が線を引いたのだ。 「……っ」  鼻を、スンと鳴らしてしまう。涙をこぼす自分が恥ずかしくて、以前とは違う意味で惨めに思えて。山吹は慌てて、目をこすろうとした。  だがその手を、黒い物体が掴む。黒い手袋をはめた桃枝の手だ。 「乱暴に擦ろうとするなよ」 「っ。……ん」 「あぁ、いい子だな」  他の客の迷惑にならないよう、囁かれた言葉。山吹は小さく頷き、ポケットからハンカチを取り出し、自分の目元をトンと優しく拭ってみせた。  掴まれた手は、そのまま。きっと指摘をすると、桃枝は目にも留まらぬ速さで手を放してしまうのだろう。  だから山吹は、黙っていた。もしかすると桃枝も『手を掴んだままだ』と気付いていたのかもしれないが、なにも言ってこない。  するりと、桃枝の指が動く。【掴む】ためではなく【握る】ために、山吹の手へ触れようとしたからだ。  やはり、桃枝も『手を掴んだままだ』と気付いていたらしい。今までの山吹なら、思わず笑ってしまっていただろう。  だが、山吹は桃枝の手を握り返した。そのまま山吹は、桃枝の肩に自らの頭を寄せる。 「っ! やま──」 「映画館では、お静かに」 「……クソッ」  きっと桃枝の顔は、笑ってしまうほど赤くなっているのだろう。しかし山吹は、桃枝を見上げなかった。  静かに溢れる涙が目尻から流れてしまわないよう、目元をハンカチで優しく拭いながら。山吹は静かに、桃枝との映画鑑賞を楽しんだ。

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