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 駅の出口に向かうでもなく、奥へ。わざわざ人が来ないような場所を選び、黒法師は足を止めた。 「あれ、おかしいなぁ? 僕、駅の出入り口に向かっとったつもりなんやけど……? 余計奥に来てしもたな?」  前言撤回。どうやら、黒法師は望んでここへ向かったわけではないようだ。  頬を掻きつつ、黒法師は山吹から手を離す。すぐに山吹は、黒法師に握られていた手を自身の手で強く握り込んだ。  不思議そうに辺りをキョロキョロと見回す黒法師を見上げて、山吹は眉を寄せた。 「……ありがとう、ございました。おかげで、助かりました」 「あぁ、ええよ、別に。君にとって最悪の選択肢を突き付けられて、僕も楽しかったからな」 「『も』って言わないでください。ボクは楽しくなかったんですから」  やはり、黒法師は黒法師だ。颯爽と助けに入ったかと思いきや道に迷い、善意かと思えば悪意じみている動機。どうにも、素直に『ありがとう』とは言いたくない。  それでも山吹は感謝の言葉を述べた。……しかし。 「要求はなんですか」  向ける眼差しは、明らかに【警戒】の二文字を宿している。  黒法師は辺りに向けていた視線を山吹に移し、困ったような笑みを浮かべた。 「信用ないなぁ。僕ってそんな酷い男に見えとるん?」 「えぇ、とても」 「君のそういうハッキリしたとこ、僕は好きやで」 「黒法師さんのそういうハッキリと頭がおかしいところ、ボクは嫌いです」  助けてもらったくせにあんまりだと、第三者は思うだろう。だが敵意を向けられている黒法師自身は、笑みを浮かべたまま「やめてや。さらに嫌われたくなるやろ」などとほざいている。山吹の眼光が鋭いのは、仕方のない話なのだ。  山吹に睨まれたまま、黒法師はわざとらしく肩を竦めた。 「見返り、見返りなぁ……。……あっ。じゃあ、ひとつ」  山吹の言葉を反芻した後、不意に。 「──今すぐ白菊に電話かけて? そんで『黒法師さんと二人でご飯に行くことになったのですが、いいですか?』って言ってや」 「──ッ!」  とても綺麗な笑みを、黒法師は浮かべた。  言われなくても、分かっている。『今の黒法師は心底活き活きしている』と。  さも『下心なんてありません』と言いたげだったくせに、案の定ではないか。山吹は、内心で毒づく。  これから、山吹は桃枝のマンションでデートだ。この予定を知っているのか、ただの思い付きか。……黒法師のことだ。きっと、両方だろう。  キッと、山吹は憤りを露わにしながら黒法師を睨んだ。 「ホント、サイテーですね……ッ!」 「おおきに」  無意味な抵抗だと分かっていても、噛みついてしまう。無論、黒法師はご満悦だが。  心の底から、山吹が嫌がっている。そう気付いたのか、黒法師はピンと人差し指を立てた。 「その要求を呑んでくれたら、貸し借りナシや。しかも今なら大特価、さっきの件を白菊に黙っておくオプション付きやで?」 「……えっ?」 「けど、呑んでくれへんのやったら。……この先、わざわざ聞きたい?」  今の心境を、一言で表すとしたら。山吹の頭にポンと浮かんだのは、たったの二文字だった。  ──最悪。  ポケットの中にしまい込んでいるスマホに手を伸ばす山吹には、この二文字だけで十分なのだから。

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