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 鏡が割れ、靴紐が前触れもなく切れ、中世ヨーロッパの時代に目の前を黒猫が大群で横切って。……そのくらい、今日の山吹はツイていないのかもしれない。 「黒法師、さん……っ?」 「そっ。黒法師さんやで~っ。覚えてくれてたんやね、嬉しいわぁ」  誰がこんな強烈なインパクトを放つ男を忘れられるものか。むしろ、忘れる方法があるのなら教えてほしい。無論、山吹と桃枝の二人に合った方法を。  しかし、大いに困った状況である。知り合いが増えたところで、相手は人の嫌がることを嬉々として行う変人だ。助けはおろか、事態の好転も見込めない。  山吹はただ悪化した現状に、なおさら表情を硬化させ──。 「──なぁ、山吹君? 助けてほしい?」  すぐさま、縋るように顔を上げてしまった。  すぐに、山吹は気付く。今のはきっと、希望を見せてから抱いた期待を砕くと言う、趣味の悪い行為への布石なのだと。急いで山吹は『初めから期待なんてしていません』と言いたげな目を向ける。  ……だが、なぜだろう。 「はぁ? いきなり割って入ってきて、アンタなに言って──」 「ごめんなぁ? 僕は今、山吹君に訊いてんのよ。ちょっと待ってくれへん?」  思っていたような展開に、なり得そうにないのは。  黒法師は笑顔のまま、青梅を見ている。そして黒法師はすぐに、山吹の肩を掴む青梅の手首を握った。 「──この子の返答次第では、君に返したるからな」  悔しい、頼りたくない。これが、率直な本心だ。  ……それでも、もしも本当に黒法師が助けてくれるのだとしたら? 「ま、突っぱねてくれてもええよ? 周りはだぁれも助けてくれへんけどな?」  このまま、青梅に捕まるくらいなら。山吹の答えは、決まっていた。 「──助けて、ください。……お願い、します……ッ」  藁にも縋る思いとは、こんな気分なのだろうか。どれだけ『無謀だ』と分かっていても天から垂らされた蜘蛛の糸を掴んだのは、こんな心境なのかもしれない。  散々なことを考えながらも、山吹は黒法師を見つめた。可能な限り、自分が『本気だ』と伝えるために。……それでもどこか、不本意そうな表情で。  すると、眼差しに込めた意思が伝わったのだろうか。 「あぁ、ええ表情やね。その子に絡まれて困っとった顔も魅力的やったけど、やっぱり僕に向けてくれるその嫌悪感が堪らんわぁ」  黒法師が、目に見えて上機嫌になった。 「じゃあ、この子は僕が貰うな?」 「ちょっと待てよ! 今はオレが山吹と喋って──いたたッ!」  青梅の手首を掴む黒法師の手は、果たしてどれだけの力を込めたのだろう。あの青梅が山吹の肩から手を離すなんて、よほどに違いない。  痛みに悶える青梅を無視して、黒法師は山吹の腕を掴んだ。その力は確かに強かったが、なぜか痛みを感じるほどではなかった。 「ほな、行こか。走るで、山吹君?」 「あのっ、黒法師さ──うわっ!」  だが、青梅の気持ちが少しだけ分かった気もする。……強引なのだ。  まるで拉致かのように有無を言わさない力と素早さに戸惑いながらも、山吹は黒法師に手を引かれて走り出した。

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