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 バッと、山吹は勢いよく、声がした方を振り返る。 「……青梅? なんで、ここに? 帰ったんじゃなかったの?」 「オレ、アンタに『お疲れ様』って言ってないじゃん。アンタが早とちりするのは勝手だけど、それでバケモノを見たような目を向けられるのは心外だなぁ~?」  ニヤニヤと笑う青梅は、すぐに書庫へと入って来た。 「明日から融資課に行くから、ちょっと挨拶してきたんだよ。そうしたら思いの外、話が弾んじゃってさ? で、管理課に戻る途中で開け放たれた書庫の扉に気付いて覗いてみたってワケ」  ご丁寧に、管理課の事務所から姿を消していた理由を説明しながら。 「なに探してるの? 手伝おっか?」 「いい、要らない。オマエには関係ないから、早く帰りなよ」 「オレは今日一日、管理課の人間だからさ。先輩サマが残業してるなら手伝う義務があると思わないか?」 「思わない。そもそもこれ、残業じゃないし。ボクが勝手にやってるだけ」 「へぇ? アンタ、そんなに仕事熱心なんだ? ちょっと意外」  視界は、探していた書類が入った箱を捉えている。残すは中身を取り出すだけだが、そんなことをしてしまっては青梅と共に事務所へ戻らなくてはならない。  それは、避けたい。やましいことがないにしても、今は桃枝に青梅と一緒にいる場面を見られたくなかった。 「融資課って、アンタが最初に配属された課なんだってな。これだけ仕事熱心なのに、なんですぐに管理課に異動させられたの? 融資課の奴と寝た? もしかして、昨今大流行中の不倫?」 「オマエには関係ない。どうしても知りたいなら、融資課の人に訊いてみなよ。全員知ってるから」 「そっか、図星か。アンタ、学生の頃からなにも変わってないんだな~」  さり気なく青梅から距離を取りつつ、さも『まだ探し物は見つかっていません』と言いたげな様子で、山吹は段ボールを眺める。  だが、青梅はなかなか退出しそうにない。どこか楽しそうに、山吹の後ろをついて歩いている。 「まだ見つかんないの? そんなに難航してるならサッサと諦めてさ、早く管理課の事務所に戻ろうよ。それか、なにを探してるのかオレに教えたら? 二人で探した方が早く見つかると思うけど」  自身のポケットに手を突っ込んだ青梅は、山吹の演技に気付いていない。山吹が書類を見つけようと、見つけまいと、青梅は山吹と一緒に事務所へ戻るつもりらしい。  学生の頃から、青梅はそうだった。山吹を嘲笑い、揶揄い、嫌悪を向けるくせに──。 「──ねぇ、青梅。もう、ボクに構わなくていいよ」  いつも、青梅は山吹に構い続けてきた。  山吹は足を止め、青梅に背を向けたまま、口を開く。 「ボクがオマエに、色々強請ったからでしょ。オマエがボクに、構ってくるのって。ボクが『酷くして』って言ったから、なんでしょ? だったらもう、ボクは気付いたから……」  山吹が動きを止めたのなら、後ろにいる青梅も動きを止める。  そして、山吹が言葉を紡いだのだから。 「『気付いた』って、なににだよ」  青梅も、言葉を紡いだ。  青梅から返された言葉の後、書庫は数秒だけ、シンと静まり返ったのだが。すぐに山吹が、その静寂を打ち破った。 「ボク、違ったんだ。学生の頃のボクは父さんにされたみたく、誰かに冷たくされることで安心してたけど……でも、ホントに欲しかったものは違ったって。ホントに、最近だけど……でも、やっと気付けたんだ。あの人が、気付かせてくれたんだ」  俯いていた山吹は、知らない。 「だから、もうボクに合わせてくれなくてもいい。オマエ、ホントはこんな奴じゃないんでしょ? ホントのオマエは、こんな──」  背後に立つ青梅がどんな顔をしているか、知らなかった。 「──黙れよ、クソビッチ」  腕を掴まれ、強引に壁へと押し付けられるまで。 「……青梅っ?」  青梅がどんな顔をして山吹と会話をしているのか、気付かなかった。

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