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 怖くて、桃枝の顔が見られない。また昨晩のように怒らせてしまったら、今度こそ取り返しがつかないのだから。  山吹は必死に、桃枝からこれ以上嫌われない方法を探した。これ以上、桃枝の気分を害さない言葉を。 「メーワクなことをして、ごめんなさい……っ。イヤな思いをさせて、ごめんなさい。昨日見せたお揃いは、嫌がらせとかじゃなくて……ちゃんと、本気で課長の喜ぶことを考えて……っ」  けれど、これでは言い訳のようで。それでも言葉を留めると終わってしまう気がして、山吹は言い訳じみた保身まみれの弁明を続けるしかできなかった。 「もういい、山吹。分かった。だから、もうなにも言うな」  たとえ、桃枝に止められても。だとしても山吹は、謝る以外の方法が思いつかなかった。 「だけど、失敗して……っ。結果的にまた、いつもみたいに傷付けてしまって……っ。ごめんなさい、ホントに、ごめんなさい……っ」  自分勝手だ、と。青梅に言われた言葉を、自らの言動で痛感してしまう。  狡い男だ。目の前に立つ山吹はきっと、桃枝の目にもそう映っているに違いない。山吹は爪が食い込んでしまうほど、己の拳を強く強く握った。  桃枝にはきっと、今日で本当に愛想を尽かされてしまうに違いない。そう考えると、山吹の目にはまたしても涙が浮かんできた。  嫌われたくないという気持ちは、確かにある。だが、これ以上桃枝を引き留めるのは違う。  山吹は混乱した頭で必死に現状を受け止め、思考を【自分】から【桃枝】にシフトチェンジした。 「ヤッパリ、ボクなんかじゃ課長に【普通の恋愛】を提供できな──」  だから、せめてもと。山吹は、桃枝が山吹を手放しやすくなるような言葉を探して、必死に紡いで。 「──違うッ! お前はなにも悪くないッ!」  ──その結果、山吹は桃枝に抱き締められた。 「……え、っ? なん、で……?」  桃枝は昨晩、山吹に怒ったはず。愛想を尽かして、山吹と別れようとしたはずなのに。 「あぁ、クソッ、最悪だ……ッ! そうと分かっていれば、あんなことしなかったのに……ッ!」  まるで、そのことを後悔しているようで。山吹には、現状がなにひとつとして分からなかった。 「かちょ、う……っ?」 「俺はてっきり、あれは【お前と青梅のお揃い】だと思ったんだよ……ッ」  理解が追い付かないまま、またしても桃枝は不思議なことを口にしたのだ。  どうしてあの場で、山吹が桃枝に『青梅とのお揃いを見せた』と思ったのだろう。根拠が分からない。山吹は動揺し、桃枝を抱き締め返すこともできないまま、その場で立ち尽くす。 「それは、ボクが浮気したって。そう、思って……?」 「違う、そうじゃない。……あの日、青梅が俺に言ったんだよ。お前と、つい最近まで付き合っていたって。その時にお揃いの道具がどうのこうのって言われて、俺はてっきり……ッ」  つまり桃枝は、昨晩見せられたマグカップを『青梅との思い出として大事に取っておいた物だ』と思ったらしい。  確かに、青梅は言っていた。桃枝に『元カレだ』という嘘を吹き込んだと。 「それは、青梅のウソで……っ。ボクのカレシは、課長だけ……っ。しっ、白菊さん、だけ……っ」  疑われても、仕方がない。桃枝と付き合う前の──付き合ってからの山吹も、信用に値する男ではなかったのだから。  それでも山吹は、信じてもらいたかった。【両想いになってからの山吹】を、信じてもらいたいのだ。 「──お願い、信じて……っ」  ポロポロと、またしても涙が溢れる。  それでも桃枝は、山吹を決して手放さなかった。

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