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他の管理課職員が泣きじゃくる青年を慌てて連れて行き、どうにか事件は収まった。
おかげさまで妙な疲労感を両肩に乗せたまま、桃枝は本日の業務を終了。車から降り、部屋へと向かった。
……ちなみにこれは余談ではあるが、退勤時間が山吹と桃枝は違う。出勤時間は合わせているものの、帰宅はどうにもできない。
だから山吹はいつも、帰宅だけ電車を利用する。桃枝としては心配なのだが、だからと言って用事もない山吹を事務所に残すのも気乗りはしない。
山吹はその件に対し『心配は不要です』と言っていたが、いつも気になってしまう。
だから桃枝は帰宅後、特に山吹を甘やかしたくなるのだが……。
「課長っ、おかえりなさいっ」
玄関扉を開けて、すぐ。桃枝の帰宅に気付いた山吹が、足早に姿を現した。
シンプルなデザインのエプロンを纏い、笑顔で桃枝を出迎える山吹という図。即座に桃枝は、自らの胸を抑え始める。言うまでもなく、反射行動だ。
「んッ。あ、あぁ。ただいま」
「少しの間ですけど、離れていて寂しかったです。……くっついても、いいですか?」
「くッ! あ、あぁ、問題ない」
「あの、それと、その……。ただいまのキス、ほしいです」
「──ぐぅッ!」
「──どうしてボクが喋る度に呻くんですかっ?」
桃枝白菊、恋人との同棲を謳歌中の青年。彼はいつも、甘やかしたいと願う恋人によって嬉しいダメージを負って帰宅する。
言われた通りに山吹を抱き締め、キスを贈った。たったそれだけで山吹が嬉しそうに照れ笑うのだから、桃枝の心臓は絞られっぱなしだ。
山吹を抱き締めると、香ばしい匂いが漂う。桃枝はすぐに、匂いの正体を当てた。
「ん? この匂いは、唐揚げか?」
「はい、そうです。揚げたてですよ」
「そうか。好物だ」
「ふふっ、知っていますよ。だから作ったんですもん」
なんて素敵な恋人だろう。抱擁の力が強まる。
しかし、いつまでも山吹を抱き締めていたら山吹お手製の唐揚げが冷めてしまう。桃枝は渋々──それはもう、渋々と。山吹への抱擁を解いた。
「夕食、いつもありがとな。それと、朝食も昼の弁当も、全部。俺の体を構成する物質がお前の料理だと思うと、テンションが上がる」
「とても規模の大きなお話ですね。悪い気はしませんけど」
通路を歩き、桃枝は着替えのために部屋へ。山吹は夕食の準備を進めるためにキッチンへと向かう。
「そうか、今晩は唐揚げか。昨日のオムライスもうまかったし、その前のロールキャベツもうまかったな。それと、その前も……」
桃枝はいそいそと部屋着に着替えつつ、今さらながらにハッとした。
「──違う! 俺はお前への愛と感謝を募らせたかったんじゃなくて、お前を甘やかしたいんだ!」
「──えぇっ? いきなりなんですかっ?」
バンッ! 着替えを終えた桃枝は勢いよく扉を開け、料理を皿に盛る山吹に向かって叫んだ。
これが、幸せボケというものか。低下している自らの思考力や判断力に驚愕しながら、桃枝はキッチンで立つ山吹に近付いた。
「まずいぞ、山吹。俺は最近、かなりの腑抜けになっている気がする」
「そんなことないと思いますけど、なにか自覚症状があるのでしょうか。とても切羽詰まったお顔ですよ、課長?」
「──やめろ! 俺をジッと見つめるな! お前の可愛さを前に気が狂う!」
「──課長、落ち着いてください」
恐ろしい。公私共に順風満帆だという確信があると同時に、人間としてなにかしらのレベルが下がっている気がする。
桃枝は山吹に心配されつつ、それ以上に、己を心配し始めた。
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