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 山吹が私生活を支えてくれているおかげか、ここ最近の桃枝は余裕のようなものが持てていた。  いつも切羽詰まっていた、というわけではないが。それでも桃枝は、確かに余裕のようななにかを胸に抱けるようになった。 「書類、出来上がりました。なので、確認をお願いします」 「あぁ、分かった。貸してみろ」  繁忙期ではないが、それでも仕事の進みは確実に順調。公私共に、順風満帆。部下に作成を頼んでいた書類を受け取って、桃枝は視線を動かした。  沈黙が、数秒。桃枝は書類を眺めた後、顔を上げずに口を動かす。 「……あぁ、問題ねぇな。これで提出しておく」 「わ、分かりました」  今、桃枝の前に立つ一人の部下。彼が管理課に来た当初、とても魅力的な書類を提出してくれた。  だから桃枝は、期待を込めて文書作成を彼に任せ続けていたのだが。……提出される書類は徐々に、当初の魅力を失うようになった。  どうして、伸び伸びと好きなように文書作成をしてくれなくなったのか。桃枝は本人にそう伝えていたつもりだったが、それは残念ながら伝わっていなかった。  その状況を変えてくれたのが、山吹だ。山吹が桃枝の言いたいことを本人の発言以上に分かり易く伝えてくれたから、彼はこうしてまた、桃枝が好む文書を作成してくれるようになった。  ……などと。不意に、桃枝はそんなことを思い出す。感謝をしてもしきれない、山吹のアシストを。 「そっ、それでは、えっと。……し、失礼、します」  書類から顔を上げると、ペコペコと頭を下げる部下が視界に入った。  どこか委縮したような様子で頭を下げる部下を見て、桃枝は眉間の皺をさらに深くする。  ……さて。ここでようやく、冒頭で告げた【桃枝の余裕】に繋がる。 「待て」  その場から去ろうとする部下を、桃枝が呼び止めた。……言うまでもなく、部下はビクリと大きく身を震わせる。 「えっ。あ、はっ、はい。なっ、なんでしょうかっ」  目に見えて怯えている。部下は『駄目出しをされる』と思い込んでいるからだ。 「お前が作った書類、なんだが」 「はっ、はいっ」  桃枝は静かに、深呼吸をする。……二人のやり取りを見て、管理課職員たちはゴクリと唾を飲んだ。  全員の注目が、桃枝に集まっている。そんな圧や視線に全く気付いていない桃枝は、視線をフイッと書類に戻した。  それから桃枝は、動きたがらない唇を強引に動かして──。 「──お前が、作った書類。レイアウトが、見やすい」  学習発表会の児童が放つ劇のセリフ以上にカタコトな言葉を、なんとか吐き出した。 「だから、いつも、助かる。時間をかけて、読む奴のことを考えて、作ってるから」 「……えっ? ……。……はいっ?」 「つまり、だな。……いつもお前に、助けられている。感謝、している。だからこれからも、よろしく頼む」 「……。……えっ」  山吹以外に言葉を吐くのは、まだ不得手らしい。やってから気付くなんて、ほとほと情けない話だが。  自分でも引くほど、文章がおかしい。しかし、今の桃枝にはこれが精一杯だった。  恐る恐る、桃枝は書類から部下へと視線を動かす。チラッと上を向き、そして──。 「──もっ、桃枝課長ぅ~っ!」 「──はッ?」  号泣も、号泣。ボタボタと涙をこぼしている部下を、ようやく視認した。  部下は大粒の涙をボッタボタと流しながら、袖で何度も何度も目元をこすり始める。 「ほっ、本当はっ、いっ、いつも不安でっ! 桃枝課長はなにも仰らないのでっ、よっ、読みやすいのかなとかっ! 本当はほっ、他の人にっ、他の人に頼みたいのかなとかぁ~っ! うわぁ~ッ、良かったぁ~ッ!」 「オイオイ泣くな! 俺が泣かしたみたいになるだろ!」  ──あなたですよ。管理課職員、総意。  まさか言葉を尽くした結果、大の大人を泣かせてしまうとは。桃枝は思わずその場から立ち上がり、泣き出す部下にどうしたものかと狼狽してしまった。

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