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山吹換算、一回。
桃枝が思うに五回ほどのセックスを終えた後。
「課長に頼られて嬉しかったから、あの人はもっともっとキレイな文書を作りたいんですよ」
山吹はベッドの上で横になりながら、口を開いた。
「元から課長のことを信頼していて、しかも最近の課長がいい感じだから、あの人は課長にオススメのお茶を差し上げたかったんだと思います。課長のお役に立ちたいから、あの人だって書類の配達を提案したんです」
主語があるようで、ない。桃枝は隣にある山吹の笑みを見ながら、すすっと眉を寄せた。
「なるほど、分からねぇな。つまりお前は、なにが言いたいんだ?」
「分かりませんか?」
笑みを浮かべたままの山吹にジッと見つめられ、桃枝の表情は硬化する。言うまでもないが、ときめいたからだ。
桃枝の表情は強張っているが、その顔を向けられている山吹本人は気にしていない。笑みを浮かべたまま、どこかほんの少しだけ誇らしげに、山吹は趣旨を伝えた。
「──課長は、ご自分が思っているよりも部下に慕われているんです。課長は、ご自分が思っているよりももっと前向きな人間になっていいんですよ」
どうやら山吹は、セックスをする前にしていた話題を掘り返しているらしい。ようやく気付いた桃枝は、やはり眉を寄せた。
どうして山吹が、この話題を掘り返しているのか。その理由を、桃枝は考えた。それと同時に、山吹が口にした【部下たちの行動】を、思い返す。
作成してくれた資料を褒めたら、泣かれた。てっきりあれは、大役を果たした後で緊張の糸が解けたゆえの安堵だと思っていたのだが。
……違う、と。今になって、桃枝は気付いた。あれは、桃枝に褒められて喜んでいたのだ。……と。
山吹の言葉を受けて、最近の部下に取られていた不可解な行動の意味が紐解かれていく。桃枝は気付いていくと同時に少しずつ、目を丸くしていった。
「つまり、アイツは──……えっ? まさか、アイツも……?」
女性職員が用意してくれた、私物のハーブティー。あれも、桃枝を心配してお裾分けをしてくれたのだ。桃枝の苛立ちを不快に思ったわけでも、渋々渡したわけでもない。
他部署に資料を持って行くと提案してくれたのは、桃枝を他の事務所に行かせまいと拒んだわけではなかった。ただ純粋に、桃枝の作業を肩代わりしようとしてくれただけ。
資料作成に全力を注いで、結果を果たしてくれるのも。
女性職員が飲み物を用意し、桃枝に分けてくれたのだって。
小さなことでも、桃枝の代わりに行おうと提案してくれた真意すら。
──全て、桃枝に向けられた【善意】なのだ。
「……そ、う、なのか。そう、だったのか」
独り言のように、桃枝は【納得】という意味の言葉を漏らす。
すぐ近くで桃枝の表情が変わっていく様と呟きを眺めていた山吹は、可笑しそうにクスクスと笑った。
「ふふっ。今の今まで、本気で気付いていなかったみたいですね?」
「あぁ、そうだな。まったく、気付いていなかった」
お世辞にも『愛想がいい』とは言えないと、自分のことはよく理解している。
そんな相手に、まさか【善意】が向けられるなんて。仮に桃枝が自意識過剰で頭の中が満開花畑の男だったとしても、そんな勘違いはできない。
それくらい、桃枝の態度は【慕われる】という好意からは縁遠いはずなのだ。
「課長は確かに恐れられてはいますが、それでも嫌われてはいないです。物の言い方は怖いですし顔も怖いですけど、部下想いで努力家で一生懸命なところを、ボクたち部下は全員分かっています」
それなのに、山吹は良い評価をくれた。そして山吹の言葉が事実であるのなら──事実として、管理課の総意なのだ。
おおよそ、現実だと受け止められそうにない。桃枝は自分の言動や態度が好ましいと思っていないからだ。
だが、それでも……。
「そうか。……そう、なんだな」
山吹の言葉を否定するような男になったつもりは、なかった。
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