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13章【雨垂れ石を穿つ】 1

 桃枝と正式に交際を開始し、同棲をする関係にまで発展し、数週間が経過した。  同棲を始めたのは、夏の頃。気付けばうだるような暑さは過ぎ去りかけ、季節は秋に近付こうとしていた。 「今日のお夕飯は、ハヤシライスにしようかな。それと、なにかスープも作って……あっ、サラダ。キュウリは冷蔵庫にあったはずだし、白菜もあったような……」  スーパーで食材を眺めながら、山吹はブツブツと今晩の夕食メニューを考える。  冷たい素麵の時期は、少し過ぎた。しかし温かい鍋にするのも、少し早い。どちらのメニューも年中食べられるが、今日の山吹はその気分ではなかった。 「セロリが安い。しいたけも、安い。うぅ~ん……」  しかし、今の山吹は自分以外の胃袋も相手にしている。絶賛同棲中の恋人、桃枝だ。  桃枝はなにを食べたいだろうと想像し、すぐに山吹は肩を落とす。頭の中の桃枝が『山吹が作ったものならなんでも最高だ』と言っているからだ。喜ばしいことだが、献立の参考になるとは言えないだろう。  だが、この想像を現実のものにするためならば手は抜けない。山吹は気合いを入れ直し、セロリに手を伸ばした。 「よしっ、決めた。今日のお夕飯は──」 「──セロリって、家庭でも食うものなんだな」 「──ひゃわっ!」  伸ばしたのだが、その手はセロリを掴む直前にビクリと跳ねてしまう。即座に山吹は後ろを振り返り、声の主に目を向けた。 「かっ、課長っ? どうして、スーパーにっ?」  なぜか、山吹の後ろには桃枝が立っている。服装や時間帯を考えるに、職場から真っ直ぐやって来たのだろう。  桃枝は山吹の後ろからセロリを眺めつつ、普段と同じ淡々とした口調で答える。 「お前と『帰りに米と洗剤を買って帰る』って約束しただろ」 「しましたけど、えっ? 今ですかっ?」 「あぁ、今だ」  セロリに向ける表情が、険しい。おそらく、選ぶ決め手のようなものが分からないのだろう。  桃枝はセロリの選定を諦め、目を丸くしている山吹に視線を向ける。 「お前に会えたのは好都合だな。帰りは一緒に、車に乗れる」 「それはボクとしても嬉しい限りですが、今日は帰宅が早いですね?」 「たまにはな。だが、ちょっとした作業をすっ飛ばせばお前を電車に乗せなくて済んだのかと思うと、惜しい」 「そのお気持ちだけで嬉しいですよ。ありがとうございます」  まさか、偶然にも桃枝と会えるとは。驚きはしたが、山吹にとってはとても喜ばしい。 「なんだか、嬉しいです。こうして白菊さんとお買い物ができているのが」 「確かに。こうしてお前とスーパーに来るのは初めてってわけでもないんだが、かと言って頻度が高いわけでもないからな。俺も同じ気持ちだ」  山吹はセロリを買い物かごに入れて、桃枝を見上げた。今日の夕飯を伝えようとしたのだ。  しかし不意に、山吹は桃枝に向かって手を伸ばしてしまった。 「あれっ、課長? 襟にゴミが──」  その瞬間、二人は互いに息を呑んでしまう。。 「──ッ!」 「──えっ?」  桃枝が突然、山吹から距離を取ってしまったのだ。

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