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 買い物を終えて、二人はいつものように日常を過ごした。  山吹お手製の夕食を談笑交じりに完食し、一緒に入浴したがる桃枝をなんとか諦めさせつつ食器を片付け、眠くなるまでベッドの上で話をして……。  そんな、幸せな日常。温かい時間を過ごした。  ……はず、だったのに。 『そろそろ、夢から醒める準備はできた?』  なんて、嫌な夢だろう。山吹は堪らず、眉を寄せてしまった。  なにも無い空間に、ユラリと人型の影が立っている。妙に見覚えのある背格好に、山吹はそっと目を逸らした。  夢って、今のこの状況のこと? 山吹は目の前に立つ影へ、静かに問いかける。  山吹からの問いを受け、それが滑稽だったからなのか。顔が見えないはずなのに、影が笑ったように思えた。目を逸らしているというのに、不思議なものだ。 『質問に質問で返すのは感心しないって、あの人に言われなかった?』  思わず、山吹は拳を握る。  影の分際で、あの人のことを語るな。山吹は目の前の影を、鋭く睨みつけた。  そうされてもまだ、影は楽しそうだ。笑みを浮かべたまま、憤慨する山吹を見ているのだから。 『分かってるくせに。この幸福は、長続きなんかしないって』  うるさい! 山吹は影を睨み、激昂する。  オマエにそんなことを言われる筋合いはない! そもそも、どうしてオマエがそんなこと言うんだよ! 山吹は影に掴みかかろうとした。 『だって、オマエのことならなんだって知ってるもん』  しかし、相手は所詮【影】だ。実体はなく、山吹に触れられた瞬間に姿をユラリと揺らめかせただけ。山吹は、目の前に在るはずの影に触れることすらできないのだ。 『オマエの浅ましさも、愚かしさも、卑劣さも、全部。ボクは誰よりも、オマエのことを知ってるもん』  影は笑い、ただ叫ぶことしかできない山吹を見つめている。 『まぁなにも、夢から醒めるのはオマエに限った話じゃないもんね』  どういう意味? 震える体を諫めることもできないまま、山吹は訊ねた。  影は、ユラリと揺れる。もう一度『分かってるくせに』と相槌を打ち、それから影はそっと、山吹に囁いた。 『目が覚めたら、あの人はもう隣にいないかもね』  あの人は、そんなことしない。山吹は目の前に立つ影へ、強く主張する。  影は『さぁ、どうだろうね』と言い、山吹を笑った。  それから、一言。 『──オマエがそう望んで、隣に残ってくれた人って……今まで、どのくらいいたっけ?』  刺すような言葉を、優しく言い放って。影はするりと、その場から消えてしまった。  それと、同時に──。 「──っ!」  山吹は、目を覚ました。飛び起きて、山吹は知らぬ間に乱れていた呼吸を整え始める。  なんて、気分の悪い夢だろう。父親との二人暮らしを回想する夢に匹敵するくらい、心臓に悪い夢だ。  山吹が『そばにいてほしい』と望み、残ってくれた相手。そもそも山吹がそう望んだ相手は、たった二人──両親だけだ。  二人の内、残ってくれた相手は……。導き出された答えに圧し潰されないようにと、山吹は無意識のうちに手を動かし、隣に在る温もりを探した。  ──そこでようやく、山吹は気付いたのだ。 「──えっ? しら、ぎく……さん?」  ──隣にいるはずの桃枝が、いないということに。

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