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 気を、遣わせてしまった。今朝の桃枝を思い出し、山吹は事務所のデスクで小さなため息を吐く。  顔を上げてパソコンの画面を見ても、気は晴れない。キーボードを普段よりもゆっくりと叩きながら、山吹は浮かない顔を浮かべ続けてしまう。  昼休憩を知らせる音が事務所に響き、山吹はハッとした。いったい自分は、たかが夢如きをどれだけの時間引きずるつもりなのか。己の弱さに、山吹はまたしてもため息を吐く。  ……駄目だ、こんな調子ではいけない。山吹は立ち上がり、気分転換も理由に含めつつ事務所から出た。  こんな時は、普段と少し違うことをしてみよう。手軽なところから試そうと、山吹は自動販売機に向かった。  なにか、普段とは違う飲み物を買おう。そんなことを考えながら、山吹は顔を上げた。  そこで、思わず表情を明るくしてしまう。 「……あっ。課長だっ」  目的地──自動販売機の前に、桃枝を見つけた。たったそれだけで、山吹の表情は和らいでしまう。  たかが、夢。たったそれだけのことで桃枝に心配をかけたくはないのだが、それでも今は桃枝の声が聞きたい。すぐに、山吹は桃枝に声を掛けようとした。  だが──。 「──え、っ」  即座に『桃枝が一人ではない』と、気付いてしまった。  ただ【桃枝が誰かと一緒にいる】という程度の情報なら、近寄ることを少し躊躇う程度で済んだだろう。  しかし、そうではない。山吹の表情が再び──むしろ、午前以上に暗くなってしまうのには十分すぎる情報が、視界に飛び込んできたのだ。  隣にいる人間が、桃枝の肩を親し気に叩いている。会話は聞こえないが、相手はやけに嬉しそうだ。  対する、桃枝はと言うと……。 「──な、んで……っ?」  笑って、いるのだ。少し照れたように、そして、はにかむように。  山吹にしか見せないはずの笑顔を、他の人間に向けているのだ。 「……っ」  咄嗟に、山吹は桃枝たちが居る方向の通り道に背を向ける。それから、早歩きで通路を戻っていった。  いつもの山吹なら、嫉妬をする程度で済んだかもしれない。大人気なく拗ねて、グチグチと嫌味を言って、桃枝に面倒くさいと思われながらも可愛がられただろう。  だが、今日は──今の山吹には、受け止められなかった。  桃枝が、誰かと親しく話しているなんて。山吹の心は、ひたすらに不安を叫び散らしている。  まるで、逃げるようだ。山吹は走りこそしていないが、それでも確実に歩くよりも速い。  一秒でも早く、あの現場から逃げなくては。そんな使命に駆られるかのように、山吹は来た道を一心不乱に戻った。  そこで、山吹は己の視界の狭さに気付く。 「「──うわっ!」」  人にぶつかってしまったのだ。  山吹と相手が、同時に短い悲鳴を上げる。ドンとぶつかり、お互いが驚いたのだ。 「いったァ……。ちょっと、事務所の中で走るのは危ないと思うんですけど?」 「すっ、すみません! ……って、あれっ?」  顔を上げて、お互いが相手を認識する。それと同時に、二人は思い思いの素直な表情を浮かべてしまった。 「なんだ、山吹じゃん」 「げっ、青梅……!」 「どうでもいいけど、オレらのテンション対照的すぎない?」  山吹が衝突してしまった相手は、青梅だったのだ。

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