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第4話 指輪があるのが当たり前になる

 ジェイルの指輪は効果てきめんだった。  次の日、例の花弁魔法師から注文が入った。いつもと同じどっさりの注文で、抱えて持っていけないからカートで引いていかなくちゃならない。花弁魔法師は満面の笑みで俺を迎えたけれど、右手で花のカートを押しながら左手で伝票を差し出したとたん、パッと凍りついた。 「そ、それは?」 「なんですか?」 「その……指輪だ」  花弁魔法師の顔がひきつっている。自分からいわずにすんだのは楽だったけど、変だとも思った。 「これですか。もらったんです。その――つきあってる人から……」  花弁魔法師の顔が赤くなり、青くなった。信号機みたいだ。 「教授? どうしました?」 「そういうことか! わかった!」  花弁魔法師はささっと伝票を受け取ってサインをし、俺に押しつけた。 「あ、中まで運びますよ」 「だ、大丈夫だ。そこに下ろしてくれればいい。いや、私が下ろす。ごくろうさま!」  いったい何がわかったんだろう? どうしてこんなに協力的なんだ? 今までは伝票にサインをもらうまで大変だったのだ。花を研究室の中に運んでいるあいだもずっと猫なで声で話しかけてくるし、手を握られたり、肩や尻を触られそうになったり――まあよくわかんないけど、ジェイルの指輪一個でこうなるのなら、もっと早く思いつけばよかった。俺は鼻歌をうたいながら帰った。  こんなにあっさり花弁魔法師が引き下がるなんて意外だったけど、俺はしばらくのあいだは指輪をはめているつもりだった。次に配達にいったときに指輪がなかったら、また何かいわれるかもしれない。  それにジェイルが出した条件は「ずっとつけていること」だ。実をいうと寮に帰ったあとは外してもいいんじゃないかと思ったけど、指輪は軽くて俺の手にぴったり馴染んでいたし、手を洗う時も問題なかった――それどころか左手は右手より汚れもおちやすくなったし、切り傷も減った。この指輪にそんな効果があるんだろうか? とにかく俺は寝る時も外さずにいたよ。 「ジェイル、ありがとう」  もちろん、次に食堂でジェイルに会った時はちゃんと礼をいった。その日ジェイルは折り紙をせずに、俺の手をじっとみていた。 「効果あった。よかったよ」 「そうか」  ジェイルはいつもと同じように口数がすくなかったけど、俺を見る目はなんだか嬉しそうだったし、俺も気分があがっていた。この三カ月の憂鬱がたった一日で消えたのだ。だからたぶん、こんなことがいえたんだと思う。 「ジェイル、今日もちょっと歩かないか?」  ジェイルは黙ってうなずいた。俺たちは一緒に食堂を出た。俺は今咲いている薔薇とか、土壌の酸性度を調整するのがたいへんだとか、棘が刺さってばかりだとか、ジェイルにはぜんぜん興味なさそうな話ばっかりしたけれど、ジェイルは黙って聞いていた。  ガキのころもそうだった。俺は喋り役でジェイルは聞き役。今もジェイルが俺と友だちでいるのは、俺の話が嫌じゃないからだと思う。だったらすごく嬉しいけど、こんなこと本人にはいえない。話しながら俺の寮の前まで歩いて、それから「じゃあ」といって別れた。  それからというもの、毎日そうなった。つまり仕事終わりはジェイルと食堂で飯を食って、ジェイルと俺の寮まで歩きながら話す。  俺はずっとジェイルの指輪をつけていた。左手のくすり指に指輪があるのが当たり前になると外すのが変なことのように思えてくる。ジェイルも返せとはいわなかった。  俺たちは変わらず友だち同士だ。  ただ、ジェイルの指輪をつけていると周囲の扱いはだんだん変になった。 「知らなかったよ、ナギ」  花弁魔法師が信号機みたいに顔色を変えた日から一週間後、仕事上がりを待っているときに上司がいきなりそういった。 「何がですか?」  俺は話が見えなくて聞き返したけど、上司はまともに答えず、さらにわからないことをいっている。 「もっと早く話してくれれば……あ、しかし彼はきみに注目させたくなかったのかもしれないなぁ、なにしろ――」  そして俺をじっとみて、嬉しそうにニコニコしている。まあいいんだけど。 「俺、あがっていいですよね?」 「ああ。行きたまえ」  いつもの通り食堂に行って、いつもの席に座る。ジェイルがやってくる。  今日、ジェイルが折っているのはウサギだ。料理がくるまでに白い仔ウサギが二匹、俺の肩によじのぼってくる。でも今日はギャラリーが寄ってこなかった。最近そうなのだ。指輪をつけるようになってから、ジェイルと俺が一緒にいるとあまり人が寄ってこない。嫌われたとかそんな感じじゃない。むしろ生暖かい視線というか、見守られているような感じがする。  俺は仔ウサギを肩にのせたまま、変なことになったな、と思っていた。他の連中、俺とジェイルがつきあってると思ってないか? ぜんぜんそんなのじゃないのに。  でも花弁魔法師を避けるために指輪を借りているなんていったら、またまずいことになるかもしれない。花弁魔法師が俺に名指しで配達を頼むことはなくなったけど、別の研究室への配達で一度すれちがったことはあった。以前のようなねばっこい目つきじゃなかったけど、やっぱり変な目で俺をみたから、それはそれでけっこう怖かった。だからジェイルの指輪はまだつけていたい。  ジェイルだってまわりの誤解は察してると思う。それなのに平然としているのは、誰ともつきあってないから平気ってことなのか、いや案外何も気づいていないのか。  ジェイルってほんと、魔法ひとすじだからさ。学校で同じ部屋だったときもそんな感じだった。俺は花屋のどうでもいい毎日のことばっか喋ってるけど、ジェイルはそれを幾何魔法のたとえでいいかえたりする。薔薇の花びらが重なるのを幾何魔法の方程式でいいかえたらこうなるんだとか。  たぶんジェイルは、俺がジェイルのことずっと好きだなんて、想像したこともないのだ。  そう思うと寂しい気もしたけど、今の状態もべつに悪くはない――と、俺はこのときは思っていたのだ。

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