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第6話 でっかい箱をさかさまにして
ジェイルは俺の手を離さない。臨時の事業所から魔法生産複合体へ向かう道は泥だらけだ。ジェイルの靴が汚れるんじゃないかって、俺はけっこう気になった。上の泡の人たちは下の泥をもちこまれるのが嫌いなのだ。
でもそんな考えは、もともと事業所や食堂があった区画に入ったとたん吹き飛んでしまった。なぜならそこには三段重ねのデコレーションケーキみたいな形をした、白くてぴかぴかした建物があったからだ。首をおもいっきりのけぞらせてみあげると、建物のてっぺんからは螺旋状に巻いたふといチューブがずうっと上に伸びている。その先はどうも、上の泡につながってるみたいだ。
「ごめん」
口をあけて上をみている俺に、いきなりジェイルがいった。
「へ? 何が」
「ナギを嫌な気分にさせたし、これの完成に時間がかかりすぎた。もっと早く来るはずだったのに」
「え? まさかこれ、おまえが作ったの?」
「高次元幾何魔法師全員の仕事だ」
ジェイルが白い建物に入っていくので、俺もおずおずとついていった。リフトでいちばん上まであがると、その先にあのチューブの入口があった。ジェイルがふりむいて俺の手をつかんだ。チューブに一歩入ったとたん、俺は叫んでしまった。
「うわっ、浮き上がるっ」
「大丈夫」
前から時々思ってたけど、ジェイルはもっと喋っても――っていうか、説明してもいいと思う。でもこのときもジェイルはろくに何もいわずに俺の腰に手をまわしただけで、俺たちはふわっとチューブの中を浮き上がった。俺とジェイルはデコレーションケーキのてっぺんに刺さったらせんのチューブをふわっと昇って、まもなく上の泡に着いていた。みるとチューブは何本かあって、人が昇ったり降りたりしてる。
「すごっ、これを使えば配達も簡単だ」
ぼそっとつぶやくとジェイルがニコッとした。着いたところはジェイルの研究室のすぐ近くだ。
「あ、先生!」
研究室では助手さんが俺をみてものすごく嬉しそうな顔をした。
「やっとですか!」
何のことだって一瞬思ったけど、すぐに、ああ、このチューブが完成したことかな、と思った。やけに歓迎ムードの助手さんが椅子を勧めてくれて、俺はとりあえず座ったけど、今はジェイルに話さなきゃいけないことがある。
もっともジェイルに面と向かって話すのはけっこうつらかった。だからすぐ横に立っているジェイルの方はみないようにして、くすり指にはめたままの指輪をくるくるまわして――思い切った。
「ジェイル、あのさ。指輪を返すよ。もう必要ないと思うんだ」
ちょっとだけ声がふるえて、恥ずかしかった。なぜかガツンと物がぶつかる音がした。怪訝に思ってそっちをみたら助手さんが棚に頭をぶつけている。俺はまた自分の手をみおろした。
「俺さ、知らなかったんだ。魔法師ならひと目でこの指輪がおまえのものだってわかるなんて。そりゃあ、みんな勘違いするよ。おまえの育ての親がはるばる来たのもそのせいなんだろ? いきなり指輪よこせとかいうから腹立ったけど、やっぱり誤解されるのはよくないからさ……」
「ナギさん、ナギさん待って!」
なぜか助手さんが俺の話を止めようとしてた。
「いったい何があったんですか」
「何って――」俺は下をむいたままいった。
「この指輪にはジェイルの印がついてるんだろ? そんなものはめてたら、俺がジェイルの婚約者だと思われるから、指輪を返せっていわれたんだ」
「そんなの当たり前――っていうかそうじゃないと意味ない、そのための指輪でしょ? ああっ、まさかこのヘタレ、まだプロポーズ、っていうか告白してないの?」
何だって?
ドタドタっと騒がしい音がして、俺は顔をあげた。そのとたん頭の上から大粒の雨か霰みたいに何かがバラバラ落ちてきた。それは何十秒間かつづいて、みると助手さんが俺の頭の上ででっかい箱をさかさまにしているんだ。
キラキラ光る軽い輪っかが俺の髪にくっついている。膝にもいくつか落っこちていて、ひとつ掴んだらくしゃっとつぶれたので焦った。輪っか――いや、指輪だ。ぜんぶ指輪だった。色とりどりの紙で作った折り紙の指輪。
「ナギさん、耳をかっぽじってよくお聞きなさい」と助手さんがいった。
「これは魔法をかける前の折り紙指輪、試作モデルです。先生が作ったんです。一年分です」
は? 一年分?
「ナギさんがここに来てからずっと練習してたんです」
俺は顔をあげた。ジェイルは俺の横に立っていたけど、男前の顔が真っ赤だ。
「ジェイル、どういうことだ?」
助手さんが答えた。
「このヘタレ教授、六歳のときに指輪を突っ返されたから、こんどこそ最高の指輪をつくって求婚するって」
「ええ?」
ジェイルが唸った。
「カイ。やめろ」
「やめませんよ。俺は知ってますからね。ナギさんがどこにいるかずっと追っかけてて、同室になれるように教師に直訴したり、ここに転勤になるよう手を回したり、変な虫がつかないように毎日食堂にいったり、あげくのはて高次元幾何魔法部にこれほどのリノベーション大建造をさせておいて、まだ本人に告白してないんですか?」
「ジェイル? あの――」
「はいはい、俺は行きますから。あとはよろしく!」
ぱたぱたと足音が響き、助手さんがいなくなる。
俺はジェイルの研究室にいる。ふたりきりだ。ジェイルはすぐそこに立っている。はじめてみるような心細そうな顔だった。今の助手さんの話を理解しようとして、俺の頭はくらくらしていた。
「今の何? まさかと思うけど……」
俺は大きく息を吸った。
「おまえもしかして、俺が好きなの? その……友だちとしてじゃなくて」
ジェイルも同じように息を吸ったようにみえた。
「ああ。そうだ」
「でもそんなのこれまで一度も」
「いった。二十年前に」
「は?」
何をいってるのだこいつは。
俺は立ち上がった。膝にくっついていた折り紙がばらばらと床に落ちる。ジェイルに正面から向きあったけど、目をあわせるには顎をぐいっとあげなくちゃいけない。
「にじゅうねんって、おまえも俺も六歳だろ? なんだよそれ?」
ジェイルは俺の周りに散らばった折り紙の指輪に視線を走らせ、ひたいに皺をよせた。
「孤児院を出る時だ。指輪を渡して求婚した」
「そんなこと……ん? しわくちゃの指輪? おまえが俺に押し付けてきた――」
「あの時はこんなものいらないって突き返された。だから次は失敗できないと思うと――難しかった」
まじか。
さっきから俺の感情は下がったりあがったり、ぐるぐるしすぎてわけがわからない。俺はずっとジェイルに片想いしてるつもりだったのに、ジェイルは俺が好きだったって? 六歳から? どうかしてるぞ。
「ジェイル、六歳でプロポーズされても俺は覚えてないし」
「ナギと離れ離れになる前に求婚しないと誰かにとられてしまうだろう。だからやってみた。断られた」
「そりゃそうだ! そんなの本気にするか。六歳だぞ! 六歳をひきずるな!」
「ひきずる。ナギに嫌われたら人生がおわる。それで十五歳の時もいえなくて」
まじで何なのだこいつは。俺の中のジェイルのイメージがガラガラと音を立てて崩れて行く。
でもそれは幻滅した、というやつじゃなかった。十五のとき、寮でジェイルが同室だったこととか、この生産複合体へ来てからジェイルと飯を食っていたことが全部カチッとはまって、俺が勝手に作っていた「すごい魔法師」のジェイルが消えたあとにここにいるのは、そのままのジェイルだった。
俺がガキの頃から知ってるジェイル。
「二十年かけて高次元幾何魔法をマスターして、完璧な指輪を作れるようになった。だから今度こそナギに求婚するつもりだった。そうしたら――」
「俺が指輪作ってくれっておまえに話したというわけか。花弁魔法師を追い払うために」
「ますますいえなくなった。同じように追い払われ――」
「そんなわけないだろ!」
「嫌われるよりは友だちのままがいいと思った」
俺はため息をついた。
俺たちって、ぜんぜん違うのに、けっこう似てるのかな?
「……俺もそう思ってた。ジェイル……一生いわないつもりだったけど」
俺は腕をのばしてジェイルの肩に手をかける。すこしだけ背伸びをする。
「俺もおまえが好きだ。だからおまえも一回、ちゃんと話して」
ジェイルが観念したように息を吸ったのがわかった。魂のぜんぶを吐き出すみたいな声でいった。
「好きだ、ナギ。ずっと一緒にいたい。だから……」
だから? 俺は待った。ジェイルは俺の左手をそっと握った。
「結婚してほしい」
「俺はただの花屋だけど、いいの?」
「ナギと結婚したい」
変だな。俺はなぜか泣きそうだ。どうしてなんだろう、すごく嬉しいのに。
だけど泣いたらジェイルはまた勘違いして、またまたおかしなことになる。だから俺はごくっと唾をのみこみ、涙をひっこめてからこういった。
「わかった。俺もジェイルと結婚したいよ」
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