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番外編 氷菓子を食す

 その日、綾人と龍藍はあることに悩んでいた。というのも、龍藍が陰陽寮に入寮してから約一年。落ち着いたと思った頃に、綾人の家からお呼ばれしたのである。手土産は菓子を持っていこうと思ったが、暑さ厳しいこの季節。腐りやすいし、生半可な物では舌に合わぬだろう。一体どうすればよいか。二人が頭を悩ませる。 「あまり安価だと妹と母が怒りそうだしなあ」  綾人は手の中の桃を剥く。桃は幼い頃から飽きるほど食べている。砂糖で甘く煮るとか良いんじゃないか。いやでも……失敗したら勿体ないと屋敷を管理する睡蓮殿に叱られてしまうな。何か策はないか。隣をちらりと見ると、龍藍殿は目を瞑って何かを唱えている。うん? これは龍神を呼び寄せる祝詞で……。綾人が龍藍に声をかけようとした途端、青い閃光が目の前に広がった。 「悩める若人達よ。手土産はやっぱり削り氷が良いんじゃないかな。龍藍君だったら解けないように運べるだろう」  気づけば桃を片手に持った龍神が目の前にいる。手土産の相談に龍神を召喚しただと!? 相談で神を下ろした龍藍は中々の豪胆であるが、神も手土産の相談の為に降りるなど気安すぎるのではないだろうか。綾人は顔を引きつらせた。 「削り氷は流石に高価すぎませんか。それに甘蔓だってどう調達すれば良いのです。最近は入手困難ですよ」  枕草子には甘蔓の汁をかけて食べたと書かれている。だが、最近では甘蔓などあまりみかけない。 「僕は水を司る龍神だぞ。氷だって用意に作れるよ。それに今から教える方法に甘蔓なんていらないさ」  龍神は桃の皮を剥いて種を綺麗に取り出す。一体何が始まるのか。綾人が見つめていると、冷たい神気が桃に集まり始めた。 「おお……」  桃を凍らせているのか。だがこのままでは食べられないだろう。かといってこれを削るには指を滑らせて指ごと削ってしまうのではないか。龍神は俺ににこりと笑うと、神気で一気に削った。鰹節のように薄くなった桃の山が2枚の皿の上にこんもりと積もる。 「さあ、食べてごらん」  綾人と龍藍は顔を見合わせつつ、匙で掬ってみる。何せ、削り氷を食べたことなどない。桃を使った削り氷など未知の物。恐る恐る口に運んでみる。 「……美味しい」 「……本当だ。冷たくて甘いですね」  冷たくて、口の中で果肉がとろけるさまは何とも言えない美味しさ。匙を持つ手が止まらない。綾人は下品にならない程度にあっという間に平らげる。匙を置いた途端、頭に強烈な痛みが走って綾人は呻いた。 「うう……頭が」 「綾人、大丈夫ですか!?」  龍藍が慌てて俺の頭に触れる。白くて細い彼の指が愛おしい。こんなにすぐ心配してくれる恋人がいるなんて、俺は何と幸せなのだろう。綾人が喜びと頭痛を噛み締めていると、龍神は困ったように笑っていた。 「削り氷の欠点はそこだよねえ。急激に頭が冷えちゃって、頭痛がしちゃうんだ。身体には問題ないけど、痛くなりたくないなら落ち着いて食べることだよ」 「そうでしたか。教えてくださって、ありがとうございます。ところで作り方はどうするのです」  龍神は待ってましたと言わんばかりに、また桃の皮を剥いた。 「果肉を冷やすように龍藍が意識することかな。この程度なら龍藍の負担にはならないし、僕の力を引き出す練習になるから丁度良いだろう。そして、綾人くんの霊力で編んだ刃で削る。鰹節や鉋を想像してみて」  言われた通りに2人でやってみる。初めの2、3個は中途半端に固まったり、削り方がおかしかったりしたが、5個くらいになるとようやく上手くいくようになった。丁度通りがかった銀雪や青龍にも味見してもらうと、銀雪はあることを言い出した。 「龍神よ、この桃じゃなくて杏でもいけるか」 「良い着眼点だ銀雪。勿論出来るよ。僕としては、柔らか目の干し柿なんかもおすすめかなあ」  干し柿か。確かに美味しそうだ。干し柿あったら試してみようなどと思っていると、今度は青龍が口を開いた。 「では、酒を固めても良いのでは」 「酒かあ。確かにいいね。異国では玉子と牛の乳を固めていたが乳臭いし、酒の方が美味いよね。せっかくだし色々試そうか」  龍神は神気の水面鏡を作ると、そこに手を突っ込んでひょいひょいと様々な水菓子を取り出した。 「龍神様……一体それは何処から……」 「ああ、これ? 氏子や僕を信仰する物達から奉納された神饌だよ」  そういえばこの神は浄化と縁結びの神として神社がいくつもある。縁結びは古今東西人気な神社の特徴。もしやこのご利益のお陰で龍藍に巡り会えたのかなあと、凍った桃を削りながら綾人は考えていた。  当日、家族と天将二名の合計6人分を用意すると、それを持っていった。味つけについて迷ったが、母上と妹には桃、兄上には杏。そして父上達には酒を固めた削り氷を用意した。目の前で削っても良かったが些か袖が汚れる。それ故、龍藍殿に冷たい結界で包んでから持っていった。  妹が驚くことは予想していたが、兄上だけでなく父上までもが削り氷を目を見開いて驚くとは。口角が上がりそうになるのを堪え、綾人は差し出した。  受け取った父上は匙を恐る恐る口に運ぶ。口に入れてから父上は十ほど固まっていた。 「……これは、酒を削り氷にしたものか」 「そうです。父上がお好きな酒を凍らせて削り氷としました」  そうかと父上は匙を再び動かす。どうなんだ。これは美味いと思われているのか。他の三人をちらりと見ると、二人とも美味しそうに食べていた。 「龍藍さんと綾兄様、とっても美味しいわ」 「それはようございました」  龍藍は妹に微笑みかける。すると、妹はほっぺたが落ちそうだと笑った。妹程ではないにしろ、少しぐらい反応を示してほしいものだ。綾人がちらちらと見ている内に、父上は食べ終わった。 「悪くなかった。だが、綾人。蒼宮殿に無理をさせてはいまいな」  やはり龍藍殿が凍らせたとお分かりになられたのか。父上のせいとはいえ、龍藍が1年前に血を吐いたことが気になっているのだろう。さてどう説明すれば良いものか。 「決して無理など、させておりません」  もう少し言葉を選ぶべきであったか。綾人は泰明の視線に冷や汗をかく。父上の冷たい視線をどうすれば良いだろうか。綾人が口を開きかける。その時、龍藍がさっと俺の前に出た。 「大丈夫ですよ。あの方も、このくらいであれば身体に支障は無いと仰っていました」  父上は龍藍の顔をじっと見ていたが、やがて表情が和らいだ。 「そうでしたか。余計な心配をして、申し訳ございませんでした」 「いえ、お心遣い痛み入ります」  誤解が解けたのか、俺に向ける目も若干優しくなっている。 「綾人、これからも蒼宮殿が上手く陰陽寮でやっていけるように、支えていけ。分かったか」 「勿論ですとも」  綾人は力強く頷く。愛しい人と同じ志で働くためには、彼を支えていかねばならない。綾人が龍藍に視線を向けると、彼は微かに頬を赤くして微笑んでいた。  それから色々と話をして、夕飯は土御門邸で食べることになった。いつもとは違う豪勢な食事に戸惑いつつも、愛しい人が俺の家族から受け入れられているのが堪らなく嬉しい。食べ終えて帰ろうとすると、父上に呼び止められた。 「龍藍殿と綾人。あの削り氷は玻璃野にも運べるか」 「ええ、青龍に頼めば運べますけど」  あの龍神とて巫女へのお土産と良いながら持って帰ったのだ。結界を強化すれば問題はなかろう。そうかと父上はしばし考え事をする。そして言いにくそうに口を開いた。 「お前達も勝手に寮を飛び出したので知っておろうが、紅原の者達が面倒なことになっていた。面倒事が片付いたとはいえ、姪と甥の心痛を考えると何かを贈ってやりたくてな。だが2人だけに贈るのは不公平。紅原の者達と式神達にも贈ってやってほしい」  龍藍と綾人は顔を見合わせる。そういうことだったか。今日呼ばれたのは、先日に寮を飛び出したことへの叱責かと思ったのだ。父上の叱責に比べればどうということはない。2人とも頷いた。 「承知しました。すぐにでも贈るといたしましょう」  2人の答えに泰明は安堵の息を吐く。そこまで心配なら時雨や桃香だけでなく、叔父上にも素直に心配と言ってあげたら良いのに。そう言いたいが、折角機嫌の良い父上が不機嫌になってしまう。 「土御門殿。本日は、ありがとうございました」 「いや、貴方達の顔を見れて嬉しかった。龍藍殿も綾人も体調を崩さぬように。季節の変わり目であるからな」  はいと返事をして2人は迎えに来た銀雪と共に帰路につく。この暑さが過ぎれば秋。皆で紅葉狩りに行こうかと3人で笑うのであった。

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