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第7話
喉が枯れてガサガサだ。全身がだるくて起き上がる気力もない。枕に突っ伏したまま千里はぼうっとした頭で昼まで過ごした。
うっすら記憶に残っているサクヤの顔が忘れられない。いつもニコニコとしている彼が一瞬見せたあの表情にはどんな意味があったのだろう。思い返すたびに千里の胸も切なくなって寂しさも倍増だ。次にサクヤが来るのは一週間後だという。
「会いたい……サクヤさん……」
ぽそりと掠れた声で呟く。優しさと温もりが恋しくてたまらない。千里はぬいぐるみを抱き寄せて目元を濡らした。本当に弱くなってしまった。
またメッセージを送れば早く来てくれるだろうか。でも千里はただのペットなのだからそんなわがままは許されないだろう。
「……」
心に穴が空いているようで、千里は自分の胸をそっと撫でた。そしておもむろに、余韻の抜けきらない突起をなぞった。
「ん」
これは昨日イかされすぎた弊害なのだ。決して千里がふしだらになったのではない。心身がまだサクヤを求め続けているから、仕方がない行動なのだ。
「は……っ、あ」
ぬいぐるみにすがりついて自慰に耽る。脳裏にサクヤの手を思い出してそれを追い、少しでも寂しさを紛らわせる。
「ん、ん♡」
すりすりと乳首を撫で擦り、冷めない熱を扱く。サクヤが触っていたみたいに焦らして、だんだん息が上がっていく。
「はぁ、さくやさんっ、さくやさん……っ」
後ろが物足りない。もっと奥を突いてほしい。玩具ではなくサクヤの昂りで。
昨日の感覚を思い起こしてじわじわと脳が錯覚していく。次第にサクヤの幻影が千里を慰め犯しはじめた。
「く、ふ♡ さくや、さん♡」
千里は腰をひくつかせながらぬいぐるみに体重を預け、夢中になって局部を責めた。サクヤに触られているのだと思い込んで、そうすれば寂しい気持ちを少しの間忘れられるから。
「あ、ぁ♡ もっと、さくやさんっ♡」
元々敏感な身体だ、限界が近くなる。
「は、さくや、さ……っ」
「失礼します」
「っわああ!?」
突如開いた扉に千里は悲鳴を上げた。自分でも驚くくらいの素早さでぬいぐるみと一緒に布団にくるまる。
「あ……なんかすんません」
入ってきたのはコウタだった。思い切り自慰の瞬間を見られてしまった。
「な、なん……っ」
「いや、今日飯頼んでないし、サクヤさんから無理させたから様子見といてって言われてて、体調悪いなら大変だと思って……一応ノックはしたんスけど」
「……、聞こえて、なかったです」
恥ずかしすぎる。食事も取らずに自慰に夢中になっていたと思われたに違いない。
「すみません、大丈夫です、ごめんなさい」
掠れた上に小さすぎる声で言う。全てが事実なので弁解のしようもない。死にたい気分だ。
「勝手に入り込んだのは自分なんで謝ることないっスよ。あの人来んの不定期だし、そりゃ寂しいスよね」
茶化すでもなくいたって真面目な顔でコウタが言った。なんていい子なんだろうか。千里の気持ちまで理解してくれているとは。
「飯作っときますね。少しは食べないと具合悪くしますよ」
「はい……お願いします」
「……」
なおも見つめてくるコウタに、千里は恐る恐る目を合わせた。何を考えているかよく分からない。
「おれ、手伝いましょうか?」
「へ?」
「人肌恋しいとき。おれが代わりしてもいいスよ」
「……な、えっ!?」
予想だにしなかった言葉に千里は声を上げた。平然と言っているのが余計に混乱する。
「他のペットんときもやってたんスよ。あの人も忙しいんで、来れない日続くと心病むひとほとんどで。おれで紛らわせられんならいくらでも手伝います」
「そっ、そんなことできません……!」
「気にしなくていいスよ。あんた可愛いしむしろ嬉しいレベル」
「かわ……っ」
コウタがにやりと口角を上げる。もしかして誘われているのか。硬派かと思いきや意外と遊んでいるらしい。
「邪魔しましたし。今からでも全然」
「い、いいです! 要らないです!」
食い気味に断るとコウタはふーんと目を細めて千里を眺めた。もしや失礼な言い方だっただろうか。しかしいくら寂しいとはいえサクヤ以外で満たそうなんて不誠実にもほどがあるだろう。千里は絶対そんな気にはなれない。
「……まあ、耐えきれないときはいつでも言ってくださいよ。それじゃ失礼しました」
含みのある笑みを浮かべてコウタは出ていった。
予期せぬ中断で頭が覚めてしまった。千里は仕方なく起き上がり、風呂で最低限の自慰を済ませて熱を誤魔化した。
端的に言って寂しすぎて死にそうだ。今すぐサクヤに会って抱きしめられたい。それが叶うなら今までの意地も恥も捨てられる自信がある。
彼が来てくれるまであと二日。もう千里の心は限界だ。これまでそうなったことはないが、もしサクヤに急な用事が入ったとかで延期になったなら千里はショックで寝込んでしまうかもしれない。
「うう……サクヤさん……」
不健全だとか病んでいるだとかそういうことは最早どうでもいい。それくらい千里は今サクヤを求めていた。
不意にコツコツ、と音がした。扉がノックされている。今度は聞き逃さなかった。扉の前まで歩いていくともう一度ノックされた。
「は、はい?」
「失礼します」
ひょこっとコウタが顔を出す。相変わらずでかい。思わず一歩後ずさると、そのままコウタが部屋に入ってきた。
「ちょっと諸々のメンテするんで数分いいスか?」
「メンテ……はい、大丈夫です」
何をメンテナンスするのかは分からないが、色々と工夫の凝らされた部屋だ。手入れが必要なのだろう。
邪魔にならないようにベッドの方へ引き返す。あまり素足を見せて立っているのも恥ずかしい。
「気分とか食欲とかどうスか?」
「えっと、まあ、大したことは……」
「元々食う量少ないスよね。孤独のストレスで過食になって体重倍になったひととかいましたよ」
「そ……そうですか……」
前のペットのことを聞くとなんだかそわそわした気持ちになる。モモからも話は聞いているが、サクヤが過去に別の人間を愛でて捨てているんだという現実を思い知らされるからだろうか。
「オレは、その。元々一人の時間が長かったですし。慣れてるというか」
「へえ。あ、ヘッドんとこも見ますね」
「は、はい」
ベッドのヘッドライトを点検するのにコウタが近づく。そそくさと隅に寄って正座していると、コウタの視線を感じた。
「でもずいぶん寂しそうなカオしてますよ」
「え……」
ベッドに片膝を乗せてコウタが目を細める。その瞳が少しサクヤに似ていて千里はどきりとした。
「っ!?」
ぎ、とコウタが身を乗り出して千里に近寄った。筋肉のわりにしなやかな動きで両手を千里の横に突く。壁際にいた千里は逃げきれずに後頭部を壁にぶつけた。
「無理はよくないスよ。押しつぶされる前に、吐き出したらどうスか?」
「な、なにを……」
反射で訊いたが勘づいた。コウタのこの目は、色を孕んでいる。千里をそういう目で見ているのだ。
コウタの手がおもむろに太腿に乗せられて、千里はびくりと跳ねた。まずい、サクヤにさえ抵抗できないのに、コウタのような屈強な体に勝てるわけがない。
「いいんスよ素直になって。寂しいでしょ? おれがかわりに慰めてあげますから」
「や、やめてくださいっ!」
「あの人はまだ来ないでしょ。内緒にしとけば平気だって」
「ちが、っ」
コウタの大きくゴツゴツした手がシャツの下に侵入しようとする。千里は言いようのない怖さを感じて、両手で力いっぱいコウタを押しのけた。
「嫌だっ!」
「……」
コウタが笑みを消して千里を見下ろす。正直怖い。良い人な印象を抱いていたぶんなおさら恐ろしい。
「オ、オレはっ、サクヤさんだけの、ものだから……っ、そういうのはしたくありません……!」
反論したはいいが声も小さく震えて俯いてしまっている。情けないが正面から向き合って言えるほど千里は心が強くない。考えてみればサクヤさんだけのものという発言も恥ずかしい。
「……へえ。従順じゃん」
意地悪そうな声音でコウタが呟いた。
「さすがあの人が過去イチ可愛がってるだけあるな」
「……っ」
「ま、そこまで言うならいいスよ。そのままお利口に待っててください」
身軽にベッドから降り、コウタは楽しげに笑った。どうやらメンテというのは口実だったらしく、特に作業するでもなくそのまま扉へ向かう。
「じゃあお邪魔しました」
すっかり仮面を外した表情で彼は手を振った。千里が呆然としているうちに扉は閉まり、ロックのかかる音が静まった部屋に響いた。
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