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第1話

 心地よい波の音が聞こえてくる。  次第に白み始めた空が、海を浮かび上がらせた。  白馬のような波が現れては波打ち際に消えてゆく。  空には雲の黒馬が朱色の光を纏って夜通し行われた饗宴の終演を告げるように足早に去っていった。  朝日が昇る瞬間、ガラスの欠片をばら撒いたように海はきらきらと輝き始める。  羽田海里(はねだ かいり)の一番好きなときだ。  小学校2年の時、祖母から太陽が水平線に顔を出すその瞬間、人魚が姿を現すと聞かされた。  それ以来、大人になった今でもこの景色を見にときおり海へやってくる。  ――皮肉なものだ。人魚に憧れていた少年が、大人になって人魚の棲家を脅かすような仕事をしているなんてな  学生時代に海里は海底でのレアアース採掘と精製の研究をしていた。  この研究を始めたのも、もともと心の片隅に人魚への憧れがあったからかもしれない。海にたずさわる仕事をしたいと。  とはいえ、今ではおとぎ話のような人魚がいると信じられるほど、純粋な心を持ちあわせてはいなかった。  ため息混じりの苦笑を漏らすと海里は視線をすこしずらした。  海上遠くに小さな影が見える。  漂流物は波に運ばれて徐々に近づいて来るようだった。 ――人魚? ばかな……  体中の血が波打ったような気がした。  後先も考えずに海へ飛び込んだ。  真夏とはいえ朝の海水は冷たかった。  漂流物は波のまにまに見え隠れしている。 ――人だ  大きな波が去った瞬間、その人物は目の前に現れた。  水面に漂うゆるやかなウエーブがかかった銀色の髪。白い肌に鼻筋が通った西洋風の顔立ち。  どうやら人魚ではなく、波の白馬から落馬したタキシード姿の王子様を見つけたようだ。  仰向けに浮かぶ姿は、波のハンモックで気持ちよさそうにうたた寝をしているようだ。  一時、海里は助けるのを忘れて見入っていた。  我に返り青年の口元に手を近づけると、かすかに息が当る。生きているとわかると一安心した。  下手に意識を取り戻してパニックになっても面倒だと、気を失ったままの彼を海岸まで引っ張って泳ぐことにした。

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