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11 縁談

城に戻ってからずっと二人きりでとっていた晩餐の席に、その日はどういうわけかレヴィアタンの母が参加すると告げられた。父も城を留守にしていることも多いので二人が顔を合わせることも少ないが、城自体にいつかない母と会うこと自体数年ぶりだった。  気位の高い母と同じ食卓を囲むにはだらけた服装はできぬと、レヴィアタンも黒に金色が差し色になった正装をしている。普段から父親が似たような格好をしているから、こうしてみると二人は兄弟のように瓜二つに見えるだろう。  実際の兄弟であるオリヴィエは兄と同じ形の服を着ていて、配色は白と銀。開襟にしている兄とは違い首元まで禁欲的にボタンを締めた装い方がよく似合っている。  あまり堅苦しい装いは好まないレヴィアタンだが、オリヴィエが瞳を輝かせて似合うと褒めてくれたのが単純に嬉しかった。 「え、今なんて?」 「喜びなさい、オリヴィエ。お前の婚約が決まりました。大叔父にあたるアスタロト子爵がお前の様な半端者の身を引き受けてくれるとおっしゃったわ」  兄弟はそろって驚きに食事の手を止めて、食卓のずっと奥の方にいる母を見た。  母と言われなければ姉で通るほど若々しくも険の強い顔つきの夫人は、オリヴィエを嫌っているので、もっぱらレヴィアタンの方ばかりにぱっちりと吊り上がった目線を向ける。 「アスタロト、大叔父上?」  弟は茫然とした顔つきで何とかその名を口にしている。  アスタロトは父王の叔父にあたる人で、母方の妖精族から伝わる光沢のある亜麻色の長い髪に、見ているものを落ち着かない気分にさせる妖艶な紫色の瞳を持つ。魔力もずば抜けて強いそれはそれは美しい悪魔だ。  この叔父を題材に書かれた恋物語は百を超えるというほどで、長い間魔界で羨望の的だった。そして妖精族の血筋の為にとにかく長寿で、見た目は父王やレヴィアタンとも変わらない。しかし問題はそこではなかった。 「お待ちください、母上。アスタロト大叔父上にはもうすでに奥方が八人はいるでしょう?」 「貴族は大体みなその位の数、妻を持つのはおかしなことではない。男の花嫁はオリヴィエが初めてだが構わないとおっしゃられている」 「人間のように一対一で番たいという価値観もあります。オリヴィエだって、会ったこともない大叔父上の元に嫁ぐなんて、嫌に決まっています。好きな相手と一緒にいたいはずです、そうだよな?」 「……そう、ですが」  オリヴィエは元々からして自分にきつく当たってくる義母の手前、無作法に当たるので口答えをしないが、可哀想なぐらいに青ざめて俯いている。今すぐ離れて座っている弟の傍に行って抱きしめてやりたくてたまらなくなった。 (オリヴィエにはいつでも笑っていて欲しい。男でも女でも、オリヴィエが共にいて一番素直に甘えられる相手と添い遂げて欲しい)   だからといってオリヴィエの身を預けても良い相手など、レヴィアタンには簡単に思い浮かばなかった。浮かばないのではなく、浮かべたくもないのかもしれない。  幼い日から今まで、沢山の男が美しいオリヴィエに手を出しかけてきたが、誰一人オリヴィエの目に敵った相手はいなかった。 (砂嵐が終わったら、進学前にオリヴィエが俺の傍を離れる?)  これからも共にいられると思い込んでいたが、それを簡単に打ち砕かれて狼狽える。 「その者に紋を刻んで形式上使役せねば、普通の人間よりは魔力量が多く、人の身に近い器が耐えきれなくなり早死にすることもあるやもしれんと、あの方のお考えあってのこと。私としてはその者の寿命などどうでもよい」 「父上が……」  魔王が人間の青年に身をやつして人間界で出会った聖女ルルウとの恋物語は、人間界でも魔界でも語り草だ。  ルルウは強い魔力を持つ魔王の子を孕んだ直後から床に就くことが多くなり、二人がまだ十に満たない頃に儚くなった。レヴィアタンは幼い頃、城にいつかず肖像画でしか顔を見ない母よりも、ルルウのことを慕わしく思っていた。だからやせ細り衰弱して亡くなっていた彼女の最期が頭から離れず、ルルウによく似たオリヴィエが母と同じ道を辿るのではという不安が常に付きまとってくる。 (オリヴィエをルルウ義母上と同じように死なせてはならない、それは俺もよくわかっている。父上としてもよく考えられたご決断なのだろう)  魔力の量で行けば父の次に多いのは直系である自分たち兄弟か、もしくは父よりも上の世代の悪魔ということになる。傍系に行けば行くほど魔力は弱くなるから、沢山いる従兄弟たちではまるで及ばない。 「一族の中でも魔力が強い者でなければ使役の紋を刻むことはできない。それはお前もよくわかっているだろう? お前とてそのものの世話をしてばかりでは不自由だろう。砂嵐が終わったら速やかにお傍に遣わすと大叔父上にも伝えてある」  それはもう大学にも通わず大叔父の元へ赴けと言われているのと同じことだった。 「紋……」  大人になった二人は今はもう、その『紋』が『淫紋』と呼ばれていることを知っている。そして『淫紋』が主となる悪魔との性交で刻まれることも、一度刻まれたら生きている限り永劫、主に抱かれその身に精を受け続けなければ身体が衰弱し、死に至ってしまうということも知っているのだ。  花嫁とは耳触りがいいが、大叔父の胸先三寸でなんとか生き永らえる性奴のような生活に貶められる事に他ならないだろう。  勿論魔王である父も一目置いている人物であるからそんな心配は杞憂かもしれないが、レヴィアタンの胸には先ほどのインクの染みのように、不愉快な気持ちがどんどんと広がって心が昏く澱んでいく。 「大叔父上はオリヴィエを愛してくださるのでしょうか?」 「どうであろうか。気難しい妖精族の血を引いているから計り知れないところもある方。飽きられぬようにせいぜい上手に媚を売ることね」  オリヴィエはレヴィアタンが何というのかを図るように、硝子玉のような青い瞳でじっと見つめてきた。  弟を彼が望む相手のところに送り出したい気持ちがレヴィアタンにはまだ残っている。しかし弟を若くして失うことは耐えがたい。 (リヴィを失う?)  そして自分の胸の内に押さえきれぬほど膨らんできた弟を誰にも渡したくない、自分だけの物だけでいて欲しいという激しい独占欲を必死にかみ殺す。凡そ弟に抱いてはいけないような感情だが、レヴィアタンは幼いころから時折、オリヴィエに対してこういった衝動にかかれがちだ。それを今また必死に押し殺す。 「俺は、オリヴィエにこれからもずっと長生きして、笑って暮らせるような人生を送って欲しいとは思っている」  胸の中に鷲の鈎爪が食い込み、引き裂かれるような痛みを感じながらレヴィアタンは弟に向けて微笑んだ。  信じられないものでも見たように大きな瞳を見開いたオリヴィエが、息を止めてしまったかと思うほどに身じろぎもせず見つめ返してくる。  物問いたげな弟の眼差しがふと外され、瞳の上に一瞬光る水の膜を認めた気がしたが、オリヴィエはそのまま無言で静かに首を垂れた。

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