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第6話 一緒にいてほしいよ
「そういうところは、変わってないですね」
律は少しだけ笑って、グラスの中身を空にした。
「状況判断する余裕がなくなって、やみくもにもがいて溺れる。力を抜いて、落ち着いてじっとしているのが正解なんです。あなたは少し、焦りすぎだ」
律の言う通りだ。
僕は何かの歪みが生じたら、すぐに正さなくてはと焦ってしまい、結果うまくいかなくなる。
苦しみでいっぱいいっぱいになり、周りが見えなくなって、自分でなんとかしようとジタバタするよりも、苦しんでいることを受け入れて誰かに助けを求めるべきだった。
「……律ともっと早くに、会えてれば良かった」
そうしたら僕も、何か他の方法でお金を取り戻しただろうに。
いいやその前に、あの男にお金を渡さなかっただろう。
会えていたらその時点でもう、律に恋していただろうから。
「食べて」
僕は言われるままにうどんを啜った。
僕はこの先ずっと、この醤油とソースの濃い味と香りを忘れることはないだろう。
店から出ると、律は財布から5万円を引き抜いて、僕に渡してきた。
「え? な、何コレ?」
「あげます」
「はぁ?」
強引に万札を僕の胸に押し付けてくるので、僕も負けじとその手を押し返した。
「久々に会った相手にいきなりお金を貸すなんてどうかしてるよ」
「貸すんじゃなくてあげると言ったんです。それに、詐欺師に騙されるような人に言われたくない」
1枚を落としそうになってしまい、慌てて紙幣を掴んだ。
くしゃっと手の中に収まった5万円。
僕の手の中に収まったのを確認した律は、僕に背中を向けて駅の方へ歩き出してしまった。
律の背中は相変わらず大きくて凛としている。
その背中はどんどん遠ざかってしまう。
僕は両唇を噛んで、手の中のお金をくしゃりと握った。
なんだよこれ。
まるで、これをやるから俺と今日会ったことは忘れろとでも言いたげに。
あの時はちゃんと、手を離さずにそばにいてくれたのに。
僕は急いで律を追いかけて、着ているコートの袖を引っ張った。
「今日、律んち泊めてよ」
律は頭1つ分背の低い僕を、なんて図々しい奴だと言わんばかりの仏頂面で見下ろしてくるが、その威圧感に耐えた。
「さっきの人に、僕の家の最寄り駅を教えちゃったんだよ。もしかしたら、そこで待ち伏せされてるかもしれない」
嘘だった。
ムサシさんに教えたのは、金が欲しいということだけ。
そんな嘘を吐いてでも律と一緒にいたかった。
「でしたら、そのお金でシティホテルにでも行って下さい」
「む、無理だよ、高いしもったいないから絶対にやだ」
「漫画喫茶は? シャワーもついてる」
「それこそ無理だって! あんな狭くて前に誰が使ったのか分かんないような場所で一晩なんて耐えられない」
他人との共有スペースで自分がうまく空気を吸える自信はない。
それにもう、答えは決まっている。
何がなんでも、律と一緒にいたい。
「同居人が、います」
律は目を逸らして呟いた。
嘘か本当か、律の黒目がちな瞳から本音を探ろうとしても分からなかった。
律はもう大人になったんだ。
結婚はしていなくても、そういう相手はいても不思議じゃない。
律が僕以外の誰かと笑顔で手を繋いでいるところを想像すると、胸に針が刺さったように痛むけど。
それでもいい、せめて今夜だけは。
「絶対に邪魔はしないから、お願い」
すれ違う人達が、僕たちのことを不思議そうに見てくる。
もし僕が女性だったら、痴情のもつれのように見えるだろう。
片手に5万円、片手に服の袖を掴んだまま律に視線を送り続けると、律は観念したように溜息を吐いた。
「こうなりそうな予感がしたから、本当はきみを助けたくなかったんです」
そうして律は、タクシーを掴まえるために片腕を上げた。
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