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第7話 #ていねいな暮らし #猫
タワーマンションの高層階にある律の部屋は広くて、ダイニングリビングは隅々まで掃除が行き届いていた。
テーブルも椅子もソファーもカーテンも、白かベージュ系でまとまっている。
無駄なものが無いから、壁にかかった黒縁の丸時計と、小さな額入りの白猫の写真が映えている。
これはあれだ。
「#ていねいな暮らし」とか
「#心地よい部屋づくり」って付けて投稿しているひとの部屋だ。
「部屋が綺麗で安心しましたか」
律はコートをハンガーに掛けながら言う。
タクシーに乗る時も、この部屋に入る瞬間も除菌ジェルを使用していた僕に向けての皮肉のようだった。
癖だからごめんねっと軽く謝っておいた。
それにしてもここは、2人暮らしには十分な広さだ。
同居人さんはまだ出かけているのだろう。
部屋をこれみよがしに見渡していると、チェストの横に猫用のトイレとベッドが置いてあるのに気付いた。
「猫飼ってるの?」
「ええ。どこかに隠れてる」
「僕が来たから?」
「そうですね。信頼してる人の前にしか姿を見せないから」
なんか言い方がちょっとムッとするけど。
僕はピンと来て、壁に掛かっている絵の前に立った。
「この子?」
「はい」
「へぇー可愛い。美人だね。名前は?」
「チー」
チー?
キッチンで手を洗っている律を振り返った。
俯いていた律は、手を拭いている時に僕の視線に気付いて、何かを察したみたいに眉根を寄せた。
「違いますよ? チーっていうのは千紘から取ったんじゃなくて、漫画のチーからです。いるでしょう、猫のチーが」
何も言ってないのに言い訳がましく伝えてくる律が、ほんの少しだけ可愛く見えた。
確かに、長年連載している人気の少年漫画に出てくる白猫がチーという名前なのは知っている。
だけど。
だって、僕のことをチーって呼んでたじゃん。
僕から取ったんじゃないの?
そう言ったところで「違う」と怒られるんだろうけど、律のその怒り顔は本音を悟られまいとする照れ隠しな気がする。
「千紘って呼んでくれたね」
「え?」
「今日会ってからずっと、きみとかあなただったから」
そうでしたっけ、と首を傾げた律は「シャワーを浴びてきます」と言って部屋を出ていった。
僕の胸は暖かくなっていた。
タクシーに乗る前に「本当は助けたくなかった」と言われて少し落ち込んだけど、愛猫の名前がチーだと聞けて、気分はまた上向いた。
「あ、そういえば」
ずっとポケットに入れっぱなしだったスマホを見て、ひっと息をのんだ。
『ムサシさんからメッセージが届いています』の文字。しかも何十通も。
どうしようどうしようと、部屋をウロウロしているうちに律が戻ってきた。
「どうしました」
「あ……さっきの人からたくさんメッセージが来てて」
「返信は?」
「してない。怖くて開けないよ」
「なら無視していいです。不安ならブロックして」
律が言うならと、内容を読まずにそのままブロックした。
自分1人では無理そうな難題も、律に言われると絶大な安心感を覚えてクリアができる。
僕は改めて猫のチーの写真を見た。
胸から上のアップで、ななめ横を向いたチーはおおきくて真ん丸なグリーン色の目を輝かせ、口は緩やかに弧を描いている。
背景は黒なので、体の白とのコントラストが美しい。
芸術的センスは皆無な僕だけど、素敵な写真だなぁと引き込まれていた。
「これ、律が撮ったの?」
髪がしっとりと濡れて、黒の部屋着になってまた雰囲気が変わった幼馴染みにドキドキする。
「そうですね。一応、そういう仕事をしてますので」
「え、仕事って、写真を撮る?」
「あとは文字を書いたり、いろいろ」
そういえば律は昔から写真を撮るのが上手で、小遣いを貯めて一眼レフを買いたいとか話していた。
あの日も潮風と夕陽を浴びながら、僕の横顔をスマホで撮影していたっけ。
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