70 / 88

第70話 三日月と猫

 ポツリと空に浮かぶ三日月が僕の後をいつまでもついてくる。  駅へ向かう途中、塀の上にぼうっと浮かび上がる白い影が見えた。  お化けではなく、一匹の白猫が香箱座りしていた。  チーかと思って目を凝らすが違った。目の色はイエローで片方の耳には黒い毛が混じっているし、そもそもチーがこんなところにいるはずない。  猫は僕を見下ろしたままピクリとも動かない。  様子を伺いつつ、僕は少しずつ間合いを詰めていく。 「猫ー。そこで何やってるの?」  当然返事はないけれど、周りに人がいないのをいいことに話しかけてみる。 「きみ、チーに似てるね。チーがきみに似てるのかな。ま、どっちでもいっか……きみも1人なの?」  すごい。瞬きひとつしない。  猫の瞳孔は丸くなっているから、警戒心むき出しだ。  猫って視力はそんなに良くないって聞くけれど、僕の姿形や表情はどのくらい見えているんだろう。  そういえばチーも、最初はこんな感じだった。  だけど徐々に、僕に気を許してくれていた。  やっぱり最後に触りたかったな。  チーを思いながら手を伸ばすと、猫は勢いよく塀から降り、電柱の裏に逃げ込んだ。 「あぁごめん。きみも1人なのって、勝手に決め付けないで欲しいよね。もしかしたら仲間と一緒に暮らしてるかもしれないのに」  僕は膝を追って座り込む。  相変わらず猫は、不信感マシマシで僕を見つめてくる。  外灯に照らされて、猫の体の毛が綿毛みたいにふわふわして見えた。  触りたいけど、僕が手をほんの少し動かすだけで猫は体を強ばらせている。  こういうことだよな。  いくらこっちが興味を持って好いていたりしても、相手に受け止めてくれるだけの器がなくちゃ。  律には僕を受け入れる器は無かったのだ。 「でもさ、だったら助けないで欲しかったよね。最終的にはこうなるんだって、頭のいい律は予測出来なかったのかな……」  やりきれなくて、ため息がこぼれる。  どるんどるんどるん……。  心の中に淀んだ空気が重低音を響かせて溜まっていく。 「あ、助けるって、僕を海に連れてった時のことと、ムサシさんからってことで2つの意味ね。ほっといてくれれば僕だって律を……」  猫は「なんだコイツ」って目で僕を見てくる。  どるんどるんどるん。  さっきよりも大きく胸に刻まれる音。  澱のように深く溜まっていく音が、やけに鮮明に耳に飛び込んでくる。  なんだかこれ、エンジン音に聴こえる。  もしそうだとしたらもう、死んでもいいかも。  黒いバイクが僕の横に止まると、猫はついに風のように逃げ出して角を曲がっていった。    姿を消した猫。  代わりに現れたのは、律だ。  ヘルメットの中で、律が呆気に取られてように目を見開いているのが分かる。  僕も固まったまま同じ表情になっていると思う。  律は長い両足を地面に付けて、ヘルメット越しに僕を見下ろした。

ともだちにシェアしよう!