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第32話 イチゴパイ

 目を開けると、自分のベッドに身綺麗になって寝ていた。 「佐野…?」  先ほどまでここに居た佐野がいない。枕元の時計を見ると、20時を回っている。佐野との行為の途中で、また意識を失ってしまったようだ。佐野はもう自宅に帰ったのだろう。  ふと、部屋の中央にあるテーブルに目を遣ると、デザートのイチゴにラップがかかっていた。その隣に、折りたたまれたノートの切れ端があった。 『ごめん、またやりすぎちゃいました。疲れているみたいだったので、俺は帰ります。また明日学校で。大好きだよ』  そのノートは佐野からの手紙だった。何度も言われているはずの『大好き』が、文字になると胸を射抜く。部屋は寒いはずなのに、顔が熱い。  スマートフォンがないから、直接会ったり、自宅から電話したりするしか佐野と連絡が取れないと思っていたが、手紙は盲点だった。  佐野からの手紙をファイルに保管し、リビングへ降りる。高揚した気持ちに合わせるように、リズミカルに足が動いた。  朝の登校時、学校の最寄り駅で井沢を待つことにした。昨日もらったコッペパンのお返しを渡すつもりだ。  学校で渡せば良いのだが、佐野がまたうるさそうなので、バスケ部が朝練をしている間に済ませたい。 「井沢、おはよう」  改札口から井沢が出てきた。ヘッドフォンをしているので、俺の声が聞こえていないようだ。井沢の目の前に出て、手を振る。  俺に気付いたようで、井沢はヘッドフォンを外した。 「委員長、おはよー。あれ…もしかして、俺のこと待ってた?」 「ああ、ちょっと渡したいものがあって。歩きながらで良いか?」  井沢はコートを着ているが、マフラーは巻いていないので首元が寒そうだ。手に持っていたヘッドフォンを首にかけているのを見て、把捉した。 「井沢は音楽が好きなんだな。いつも何を聞いてるんだ?」 「んー、最近はワンオクをよく聞くかな」 「(……?わ、わん…おく?)そうなのか…」 「委員長は音楽聞かないの?」 「あまり聞かないな」 「じゃあ、今度CD貸すから聞いてみて」 「ああ、うん。ありがとう」  正直、音楽を聞くくらいなら英語のリスニングCDを聞いていたい。だが、佐野と付き合うことで、友人との関わりの楽しさを知ったように、新しいことを知ることで、思いも寄らない世界に触れることができるかもしれない。 「さっそくなんだが、これ」  俺は、自身で作ってきたイチゴパイを差し出した。手の平サイズで、真ん中にのったクリームとイチゴ、それからサクサクのパイ生地が特徴のお菓子だ。  優心の得意料理で、俺の大好物でもある。自分で作れるようになりたくて、優心に教えてもらった。ただ、しっかりと膨らみのあるパイを焼くのは難しく、安定して作ることができるまでかなりの時間を要した。 「え、これ手作りお菓子?もしかして、委員長が作ったの?」 「ああ。家にイチゴが沢山あるし、夜少し眠れなかったから作った。コッペパンのお礼だ、良かったら」  昨晩は、佐野との行為中に寝てしまい、変な時間に起きたので、夜中に目が冴えてしまった。普段は、こういうときは勉強をするのだが、その夜はイチゴパイを作った。 「なんか…委員長って本当かわ…」 「え?」 「いや……ありがと」  井沢が甘いものを食べている姿を想像できないが、喜んでいるようで良かった。実のところこのお菓子は、昨晩イチゴを食べ損ねた佐野のために作った。だが、大量に作りすぎてしまったので、井沢にも渡したのだ。  佐野の喜ぶ姿は容易に想像できる。佐野に渡すところを想像して、頬が緩んでしまう。 「つかぬことを聞くが、井沢は佐野とどういう関係なんだ?」 「『どういう関係』…?」 「その…なんというか。あまりその…」 「あー。仲悪そうに見えるってこと?」 「…端的に言えば、そうだな」  前々から気になってはいた。佐野は井沢に対して異常なまでに攻撃的だ。  井沢は、イチゴパイの包みをそっとバッグにしまいながら、話し始めた。 「俺と名津は、幼稚園から一緒だから、まあ長い関係といえばそうかもな。ユイと3人、幼馴染だ」 「え!?ユイも?」 「そう。昔はよく3人で遊んでた」  佐野と井沢とユイ…随分華のある3人だ。 「仲が悪いというか…そう見えるのは、名津が俺のことを『裏切った』って、思っているからだろーな」 「裏切った?」 「名津は、俺とずっとバスケやりたいって言ってたし」  佐野と井沢は何年もずっと一緒にいて、その中で深い友情関係を築いてきたのだろう。  その井沢がバスケ部を辞めたことは、佐野に相当なショックを与えたのだろうと、容易に想像できた。 「井沢は、なぜバスケ部を辞めたんだ?あんなに上手いのに」 「……バスケに限ったことじゃないけど、名津の隣にいるのがしんどくなった」 「え?」 「委員長には分かんねーか」  そう言うと、井沢は先に教室に入って行った。 「りょう、おはよう!昨日は大丈夫だった?」  突然、後ろから佐野に声をかけられて、心臓が飛び跳ねた。振り返ると、いつもの曇りのない佐野の笑顔があった。井沢と登校したことはバレていないようだ。 「お、おはよう。俺は問題ないが、佐野は大丈夫だったか?1人で帰れたか?」 「何言ってるの、俺大人だもん。大丈夫だよ」 「いや、子供だろう」  佐野は喜色満面で教室に入って行った。佐野が現れるや否や、誰かしらが佐野に声をかけており、俺が話しかける隙がない。  だが、今日はどうしても佐野に渡したいものがある。 「佐野。今日の帰りなんだが、部活が終わるまで待っていても良いか?」  教室で佐野に話しかけると、複数の視線を感じる。その中には刺すような目線もあり、居心地が悪い。早く用件を伝えて、この会話を終わらせたい。 「ん?何か急用?」 「いや、そういうわけではないのだが……」 「じゃあ、明日の部活が早く終わる日にしよう。あんまり遅くなると、りょうが心配」  毎週水曜日は職員会議があるので、部活動が早く終わる日だ。確かに明日なら、佐野も時間に余裕があるのだろうが……。 「分かった、また明日だな」 「ごめんね」  ワガママばかり言っていられない。佐野は忙しいんだ。イチゴパイをプレゼントするのは諦めよう。  暗くなるのが早いこの季節は、自宅学習の時間が増える。今日も少しだけ図書室で自習をして、早々に帰路に就いた。 「っさ、寒い……」  皮膚を叩くような、冷たい風が吹いている。 「委員長、一緒に帰ろーぜ」 「井沢?帰ったんじゃなかったのか?」    昨日と同じように、井沢が校門前に立っていた。井沢の寒そうな首元が、赤くなっている。だいぶ待ってくれたのではないだろうか。 「なんか、委員長が淋しそうだったから、気になってさ」  朝の俺と佐野のやり取りを、井沢は聞いていたのだろう。 「悪い、気を使わせたな」 「いや、イチゴパイの感想も言いたかったし」 「もう食べたのか?」 「お昼のデザートに。めちゃくちゃ美味かった!」  井沢の破顔を初めて見た気がする。伸びた前髪から覗く目元が、人の心を温めるような優しさに満ちている。 「今バスケ部は大会近いから、結構忙しいと思う」 「そうか」  この寒い中での井沢の温かさは、身に染みた。佐野がわざと俺の誘いを断ったわけではないということを、伝えてくれている。  佐野に、井沢と一緒に帰るなと言われてはいるが、誰が無下にできようか。  また井沢と、たわいもない会話をして家路につく。それだけで、少し気が紛れた。  ただ佐野と一緒に下校できず、ただプレゼントを渡せないだけ。ただそれだけなのに、なぜか胸が詰まって息苦しい。  「好き」という感情は、喜びに満ちているだけではないことを、初めて知った。

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