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第42話 信じること
佐野はノンカンファレンストーナメントでもその輝かしい才を発揮し、注目度の高いトーナメントでチームを優勝へ導いた。
そのトーナメントでは、井沢の大学対佐野の大学の試合も行われ、「日本人対決」として日本でも大きく報じられたようだ。
佐野のチームが勝利したのだが、白熱するとても良い試合だった。俺はその試合を観戦することができ、井沢との再会も果たした。
その間も俺は大学の課題に追われ、あっという間に年末を迎えた。年末年始は、毎年武の実家へ帰省することになっている。ただ、ここ最近はあの事件のこともあって、俺は帰省できていなかった。
今年はやっと日本の正月を味わうことができそうだ。一方の佐野はレギュラーシーズン真っ只中なので、帰省などできない。俺も帰省は早めに切り上げて、佐野の応援に向かうつもりだ。
佐野と数日会わないことなど家常茶飯なのだが、距離ができるとなぜか寂寥感に襲われた。だが、楽しみなこともあった。ユイと会う約束をしたのだ。
井沢と再会したことをきっかけに、ユイとも連絡を取り合うようになったのだ。突然中断した高校生活が戻ってきたような、懐かしさに心が踊った。
武の実家は都内に近い。だから毎年旅行気分などなく、物足りなさを感じていたが、都内に住むユイとすぐに会えるというのはうれしい誤算だった。とはいえ、今回は米国からの帰省なので、かなりの旅行気分を味わえたのだが。
ユイとの待ち合わせの時間よりも少し早く行き、書店に立ち寄ることにした。ネットを活用すれば米国にいても日本語の本を購入できるが、やはり実際に触れて選ぶのは楽しい。またその種類も豊富だ。
ワクワクしながら大型書店へ向かうと、予想外のものに迎えられた。
「佐野……」
エントランスのガラス張りの壁にでかでかと飾られたポスターには、ゴールリングにシュートを決める佐野が居た。自動ドアを潜ると、近くの棚にバスケ専門誌が平積みされている。もちろん表紙は佐野だった。
日本では、予想以上に佐野が有名になっていた。まさに「佐野フィーバー」状態で、子供の習い事にバスケを選ぶ親が急増しているといったニュースも見た。
至る所に佐野が居るせいか、周囲の視線を妙に気にしてしまう。誰も俺のことを気にかけてはいないと分かっているのに、2年前の事件を思い出してしまう。隠し撮りされていた毎日が、フラッシュバックする。
このまま書店で買い物をする気にはなれず、逃げるように身を小さくして店を後にした。
「確かに、最近はいろんなところで名津を見るわね。もう見飽きた」
「そうか…そんなに人気なのか佐野は」
「そうみたいね」
久方ぶりに会ったユイは、あの栗色の髪がさらに明るくなって、高校生のときから放っていた優婉さにさらに磨きがかかっていた。
ユイと遅めの昼食を取りながら、互いの近況を報告し合った。ユイは希望通り医学部に進学し、忙しい毎日を送っているようだ。俺が薬学部に進学したこともあり、互いに今取り組んでいる研究テーマなどで話が弾んだ。
「ところで、名津とはうまく行ってるの?」
食後のデザートとコーヒーを待ちながら、ユイが話題を変えてきた。
「……分からない」
「珍しい。あの強気の委員長が、そんな曖昧な返事をするなんて。何かあった?」
ユイは面白がるような笑みを浮かべながら話を聞いてきた。
佐野とは特に大きな喧嘩などがあったわけではないが、ルークに昔の自身の画像を見せられ、過去から逃げられない気がして悩んでいることを打ち明けた。
「佐野の足枷にならないか、憂慮している」
「画像ねえ……そのルークって人、どんな人?写真ある?」
「ああ、ネットにたくさんあると思うが。結構試合に出ているから」
ユイはスマホを取り出すと、さっさと検索し始めてルークの写真を探し出した。
「ルークはこれだ。佐野の隣にいる」
ユイのスマホを覗き込み、ルークを指差した。
「えっ!?」
「な、なんだ!?」
「……いい男」
「……こちらは真剣に相談しているのだが」
「ふふっ…ごめんなさい。でも、今は何も起こっていないのでしょう?確かに、過去の自分の写真を見せられたら、不安になるかもしれない。でも、起こってもいないことで動揺する必要なんてないわ」
ユイの言う通りだと思った。俺はいつの間にか冷静さを失って、感傷的になっていた。
「そうだな、確かに何も起こっていない」
「あの委員長がそんなに思い煩うなんて。高校生のときは、名津が委員長を追いかけているように見えたけど、今はそうでもないみたいね」
ユイが破顔したタイミングでイチゴのショートケーキと紅茶が、俺にはコーヒーが運ばれてきた。
「確かにそうかもしれない」
佐野への俺の想いが、佐野のそれを超過し、アンバランスな天秤を為している。その形状が俺の不安を掻き立てているのだ。
「でも、委員長は大事なことを忘れているわ」
「何を?」
ユイはイチゴを一口で頬張ると、微笑した。そして俺に顔を近づけて、小声で話し始めた。
「名津はバカなのよ」
「……またふざけてるのか?」
「全くふざけてないわ。名津はバカがつくほどバスケが好きで、バカがつくほど委員長が好きで、バカがつくほど明るい男よ」
ケーキを頬張る度に、ユイの顔が綻ぶ。
「もし、過去の事件が明るみになって何かが起こっても、名津は跳ね返すと私は思う」
「そうか……」
少し冷めたコーヒーを飲んだはずなのに、内側からじんわりと身体が温かくなった。
「あー私も留学しようかな。ルークみたいないい男がいっぱいいそう」
ショートケーキを頬張りながら話すユイの目は、すでに未来のイケメンを見つけ出している。
「留学は、いろんな意味で世界が広がるからな。出会いもあるだろう」
ユイが最後の一口を食べ切り、紅茶を飲み始めた。その姿はどこかの貴族の令嬢のようだ。
「でもそのルークって人、少し警戒しておいた方が良いと思うわ」
「え、どうして?」
ユイが空になったコップに紅茶を注ぐ。蒸らしすぎた濃い紅茶は、暗い空に降り注ぐ雨のように俺の心を曇らせる。
「誰がどう見ても委員長だと分かる画像を、なぜ本人に見せたのかしら?」
「……分からない。ただ、俺が否定したらルークはすぐに納得していたが」
「そんなにすぐに引き下がるのもおかしい気がする」
「……」
日本語を話すルークには親近感しかなく、佐野に似た笑顔を無条件に受け入れていた。
「ルークって人、何か考えがありそう」
「そう…かもしれない…」
「ねえ、そんな感じで大丈夫?こんなの、いつもの委員長ならすぐに勘付くはずだけど」
「そ、そうか?」
「そうよ。なんかぼーっとしてる。今はライバルが多いってこと、自覚しないと」
ユイの指差した先には、俺たちの居るカフェの目の前に建つ、あの大型書店があった。
「そうだな…」
ここからははっきりとは見えないが、先ほど見たポスターを思い出す。決死の表情の佐野は、多くの人を惹きつけている。
ユイに頬を叩かれたような、目の覚める感覚が全身を巡った。決意する方向が間違っていたようだ。
未来のことは誰にも分からない。もしかしたら何かをきっかけに、俺と佐野が離れ離れに生きることがあるかもしれない。ただ確実に言えるのは、今俺は佐野名津と一緒に生きているということ。
あんなポスターに写ったペラペラの佐野ではなく、生身の佐野と付き合っている。その佐野から直接感じたことを、信じるべきだ。
「ユイ、ありがとう。うじうじ考えるのは今日までとする」
「やっと委員長らしくなってきた。じゃあ買い物付き合って。お礼に荷物持ち、よろしくね」
ユイは買い物が趣味だ。たぶん俺はしばらく解放されないだろうが、そこまで気分は悪くない。
「ああ、行こう」
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