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第43話 つがい
2月のシアトルは東京と同じくらいの寒さだが、細かな雨が多く、日照時間が短い。どんよりとした気候だが、しんしんと降る雨も悪くないと感じ始めていた。
俺が住む地域は雪はあまり降らないのだが、車で少し行くとスキー場がある。ウインタースポーツ好きな両親は毎週末のようにスキー場へ出掛けていた。
佐野はカンファレンストーナメント中で、NCAAトーナメントの出場権をかけた激しい戦いを繰り広げていた。1回でも負ければ、そこで終わりである。チームの命運をかけた試合が毎日のように行われている。当然、俺たちはほぼ会えていなかった。
俺も大学の課題に追われて忙しくしていたが、優心に車の運転の練習に付き添ってもらい、免許の取得に成功した。
これで移動できる距離が格段に伸びた。佐野にも会いやすくなる。佐野に運転免許取得を伝えると、「俺も取る!」と意気込んで、その要領の良さですぐに試験に合格していた。
もっとも、米国は日本のように教習所に何度も通う必要はないので、少ない時間とお金で運転免許を取得できる。それでも佐野は試合が続いて心身ともに負担が大きいはずだ。パワフルな奴だとつくづく感じた。
「明日の試合は応援に行くから」
最近は、毎晩のように佐野と電話をする。とはいえ、試合に差し障るといけないので短時間だ。それでも俺にとっては多幸感あふれる時間だった。
「りょう、もしかして車で来るの?」
「ああ、そのつもりだ」
「ええ、心配だな…優心さんは来れないの?」
「大丈夫だ、問題ない」
佐野はしきりに心配していたが、最近は車の便利さに慣れてしまい、電車やバスでの移動が億劫になっていた。
「明後日は試合休みだから、りょうの家行くね。優心さんには連絡してあるから」
佐野は、翌日の試合が休みのときは俺の家に来るのが日課になっていた。試合が休みでも練習はあるので、一晩泊まってすぐに寮に戻るのだが、遠足の日を心待ちにする小学生のように俺の胸は高鳴っていた。
「じゃあ明日は、俺の運転する車に初乗車だな」
「りょうの運転…楽しみだけど、本当に心配。俺、大人しく座ってられるかな?」
「隣で暴れられると困るのだが」
2人そろって明日が待ちきれず、今日の電話は少し長引いた。
「明日も頑張れ。応援している」
「ありがとう。りょう、大好きだよ」
「……ああ、またな」
通話が終わっても、しばらく佐野の「大好き」の余韻に浸って、スマホの画像フォルダにある佐野と写った2人の笑顔を眺めていた。
発情期が近づいているからか、最近は佐野に会いたくて仕方がない。悶々として眠れない夜が続いており、寝付けないならレポートを仕上げてしまおうとパソコンの前に座ってしまう。そうなるとさらに睡眠時間が短くなり……と、悪循環が続いていた。
睡眠不足だと発情期が乱れることが多い。そのため最近は、抑制剤を必ず携帯するようにしていた。
もう一度佐野のいないベッドに横になってみた。明日は同じベッドに佐野がいる——そう思えば思うほど目が冴えて、やはりパソコンの前に座り直して朝を迎えた。
シアトルは今日も霧雨だが、試合会場に着くと雨は止んでいた。会場入りすると、既に多くの人で賑わっている。冬だというのに汗が噴き出すほどの熱気だ。思わずセーターを脱いだ。
テレビカメラが入っているからだろうか、チアリーダーのパフォーマンスも熱を帯びているように見える。
選手入場で会場の温度がさらに上昇し、その中を佐野が颯爽と現れた。それだけで心音が速まる。久しぶりの佐野の姿は、精彩を放っていた。
試合は熱戦となった。負ければ次がないという緊張感が、会場全体の空気をピンと張る。皆前のめりになって観戦した。佐野は途中交代があったものの、ほとんど出ずっぱりで18得点を決めた。
内径45cmのリングに吸い込まれるように飛び交うボールに、目が釘付けになった。なぜあんなにボールがネットを揺らすのか、素人目からすると訳が分からないが、とにかくシュートが決まる度に興奮する。特に佐野がゴールを決めると、もう全身でよろこびを表現したいくらいに歓喜した。
俺の声援など届いていないだろうが、とにかく発声した。そしてまたもや、佐野の大学の勝利を見届けることができた。ブザーが鳴るとすぐに、佐野がこちらを向いた。
会場が広く、本当に目が合っているか分からない。だが「おめでとう」と口を動かすと、佐野は頷く仕草を見せた。
その後ルークや他のチームメイトが佐野のところへ来て、互いの健闘を称えているように見えた。その姿をスマホに収めて、俺はエントランスで佐野を待つことにした。
真っ暗な空には、針金のような雨が降り注いでいる。会場入り前よりも気温は下がっているはずだが、試合の興奮を抱いた俺の体温は高いままだ。
疲れなのか、最近の睡眠不足のせいか、火照りが抜けない。自身の頬を触ると、思った以上に熱くて驚いた。呼吸も少し浅くなっている気がする。
(発情期が早まったか…)
試合会場は荷物の持ち込みが禁止となっているので、抑制剤は車の中だ。ダウンジャケットのフードをかぶって、駐車場へ急ぐ。
そのとき、誰かに腕を強く掴まれて足を止めた。その勢いに流されるように振り返ると、先ほどまで試合に出ていたルークがいた。まだユニフォームを着たまま、汗なのか雨なのか、とにかく全身が濡れていた。
勢い良く振り向いたせいで、フードが外れて俺の頭も細雨にさらされた。
「ルーク?どうしたの?」
ルークの濡れた眸にはこの間の温かさは感じられず、谷底のような暗さのみを映していた。
「お、おい!何をっ…痛っ…」
抗えないほどの力で抱きしめられたかと思うと、俺に回り込むようにルークが顔を近づけてきた。そして首筋に鋭い痛みが走った。
首根に当たる涙雨が傷口を刺激して、焼け付くように痛い。血液がドクンドクンと波打つように全身に巡り、体温が急上昇する。止まらない雨のせいか、それともルークに噛まれたせいか、目の前が霞んで足元が覚束ない。
「ルーク、なんで…?」
なんでこんなことするんだよ——そう責め立てたかったのに、パソコンを強制終了したかのように目の前が暗転した。
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