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第44話 【名津視点】最高で最悪な1日

 今日は最高の1日だ。試合に勝ち、そしてコートからりょうの笑顔を拝むことができた。りょうが応援に来てくれると、必ず勝つことができる。俺の最高の1日を作り出してくれるのは、いつもりょうだ。  最高の1日はまだまだ続く。明日はオフだから、りょうの家に泊まりに行く予定だ。自然と顔が綻んでしまう。 “You’re unusually very cheerful today!” (今日はいつになくご機嫌だな) “Is that so?” (そうか?)  更衣室で着替えながら、鼻歌を歌っていたことに今気付いた。そうなんだよ、上機嫌なんだ今の俺は。 “Bye,guys!” (じゃあね、みんな)  脱いだユニフォームやバッシュを乱雑にバッグに詰めて、急いでエントランスへ向かった。  今日はりょうとこの間観たドラマの続きを観て、そしてベッドで一緒に寝て……。そしてプレゼントを渡すつもりだ。頭の中を笑顔のりょう、怒ったりょう、頬を赤らめて恥ずかしがるりょう、エロい姿のりょう、今まで目にすることができた全てのりょうが彩る。  俺の細胞1つ1つが、りょうへの想いを抱いている。りょうは正しく、俺の全てだ。 「やばい、興奮してきた」  完全ではないが、明らかに膨らみ始めたボトムの中央を押さえ込んだ。こんな状態で行ったら、りょうが不快な気持ちになるだろう。立ち止まり、深呼吸をして気持ちを落ち着ける。 「ふー……よし」  エントランスに近づくと、湿気を帯びた夜気が頬を冷やした。その空気は、期待に膨らむ身体を落ち着かせてくれたが、外音は俺の胸をざわつかせた。  アリーナを後にしようとする人々が、出入り口付近で足を止めて、ちょっとした人だかりを作っていた。その声声には戸惑いがあった。 “What happened?” (何があったの?)  人だかりの中の1人に話しかけながら、外に広がる場景が目に入ってきた。 「えっ……」  吸い込んだ息は吐かなきゃいけないのに、あまりの衝撃に吐くことを忘れてしまった。 「りょう!」  人だかりを掻き分け、雨中の濡れたコンクリートの上に倒れるりょうへ向かって、全速力で走った。走りながら、下腹部に何個も石が落とされていくような、ずんと重い感覚を覚えた。  ——発情だ  忘れもしない。高校生のとき、りょうは教室で発情した。そのときに感じた重だるさ、におい、衝動が蘇ってくるようだ。  あのときは歩くことさえままならなかった。だが今はもう少し体力が付いたからか、身体を動かすことはできる。  懸命に足を前へ進めている途中で、ルークとすれ違った。 「…ルーク?」  俺の声が聞こえなかったのか、それとも意図的に無視したのか、ルークは振り返ることもなくアリーナの方へ戻って行った。  嫌な予感がした。でも今は倒れているりょうが最優先だ。  りょうの周囲には誰もいなかった。いや正確には数人いたけれど、誰もが少し距離を置いている。無理もない。ここにいるほとんどの人が、発情を初めて目の当たりにしたのだから。 「はあ、はあ、はあ……」  りょうに近づくと、荒い呼吸と熱を強く感じた。苦しそうなりょうには申し訳ないが、髪や肌が雨に濡れて火照るその姿は、美しい。抑えられない欲望が、全身を包んでいく。 「りょう、もう大丈夫だからね。家に帰ろう」  りょうを抱きかかえ、駐車場へ急いだ。今すぐにでもりょうを抱き潰したいが、まずはりょうの身の安全の確保だ。  りょうのダウンジャケットのポケットに手を突っ込むと、駐車券があった。記された場所に向かうと、見慣れない車があった。まだらに水滴を付けた深緑色のコンパクトカーだ。  不審に思ったが、同じくりょうのポケットに入っていた車のスマートキーのボタンを押すと、ロックが解除された。  後部座席にりょうを寝かせた途端、堪えきれなくなった欲望が溢れ出した。何かに急かされるように口付けをする。りょうの熱い唇、頬、そして首筋へを俺の欲望を記していく。 「んっ……」  俺のしつこいくらいの口付けにも、りょうは目を覚さない。これはチャンス…?高校生のときは、りょうが「まだ早い」というから噛まなかったけれど、その後別れることになって後悔に震えた。  りょうに怒られても嫌われても、番になってしまえばりょうは俺のものだ。  首裏に口付けをしようと、りょうの身体を反転させた。そこには、想像もしたくなかったものがあった。血が滲んだ噛まれた痕だった。手で擦っても消えない。何度も何度も拭ってみたが、そこにしっかりと存在している。  先ほどまで優しく降り注いでいた小雨が、氷の矢のように俺をずぶずぶに突き刺していく。  俺ってやっぱり勘が冴えてるんだよな。影を落としたルークの横顔を思い出して、車のシートを無意味に殴り続けた。俺とりょうは、こんなにもあっさり終わってしまうのか。今日は本当に、最悪な1日だ。

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