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第46話 ココアと合鍵

「……だったら、番になって名津の本気を見せて欲しい」  俺の口から『番』という言葉が出てきた瞬間、名津は息を呑んだ。  先ほどまで熱く燃えていた俺の身体は、指先から徐々に冷えてきていて、発情の終わりを告げ始めていた。だが、まだ終わっていない。 「……さっき、アリーナ前でりょうが発情して倒れたとき、俺はチャンスだと思った。高校生のとき、番にならずに別れて後悔したから」 「だったら……」 「りょうの首筋を噛もうとしたとき、ルークの噛み跡を見つけた。俺は怒り狂って、許せないって思った」  名津の眸子に影が差し、いつもの輝きが消失していく。 「それと同時に、俺がやろうとしてることはルークと同じだって気づいたんだよ。やっぱり俺って馬鹿だなーって自分に呆れてさ」 「名津……」 「番になってしまえば、りょうは俺のものだって思ってた。でも、ただ噛めば良いって問題じゃないよね……」   「今更、悩む必要なんてない!」  驚く名津の表情を無視して、その肩を押して上に跨る。 「りょう…?」  俺が力いっぱいに押さえつけたところで、名津にとっては意味をなさない。だが、名津は全く動こうとしない。その眸子だけが、俺の目を射抜いている。  発情が終わりかけた自身の身体を振り回すように、乱雑に名津の高まりの上に腰を下ろした。 「っあぁっ!…んっ!」  ゆっくりと腰を下ろしたつもりだったが、ミチミチと窄まりが拡張され、その刺激に眩暈がする。 「あっぁぁっ…はっ、あぁ…あっ…ん……」  腰をゆっくり上下させ、俺が欲していた名津の欲望を刺激していく。 「っん…りょ、りょう…ま、待ってっ…」 「ひゃっぁっ!名津の、おっきぃ!」  名津の屹立が苦しんでいるのか、それとも喜んでいるのか、内壁を引き裂くように肥大化して左右に揺れる。 「りょ、りょう……ねえ、待ってってば!」  名津は両手を俺の脇に差し込み、軽々と持ち上げた。グポっという音と共に、2人の繋がりが断ち切られる。名津は起き上がり、俺を諭すように優しく抱きしめてきた。 「名津は、俺と番になるのが嫌なのか?」 「そうじゃないよ。りょうと番になりたいと思ってるよ」 「じゃあなんでっ……」 「ねえ、番がどうとか、そういうことにこだわってなかったのは、りょうの方じゃなかった?」  俺の頬を包み込む名津の両手は、大きくて温かい。だが部屋はひんやりと冷え込み、俺の高まった情念を急速に冷やしていく。 「りょうのいつもの冷静さがないのは、ルークのことがあったから?」 「……それもあるが、それだけじゃない」  自分自身の気持ちが、こんなにも分からないときがくるとは思わなかった。  今日もまた発情が暴走してしまい、さらにルークの件も重なって動揺したのは事実だ。高校生のときのように、俺たちをよく知りもしない奴らにネットで騒ぎ立てられる未来が、容易に想像できてしまった。そして名津が刺されたあの瞬間が、鮮明に目の前に現れた。  ありえないのは分かっている。だが、名津がもう一度傷つくようなことが起こって、今度は亡くなってしまうのではないかとさえ考えてしまった。  そんなことは絶対に起きてはならない。それを防ぐためにも、名津と別れるときがとうとう来たのだと悟った。だが、実際に別れるとなると苦しくて、辛くて、耐えられそうになかった。 「名津とこれ以上一緒にいてはいけない。分かってはいるが、別れることを想像しただけで苦しくて、無理だった」  こんなに冷静でいられないのは、自分が愚かだからか。それとも、オメガだからなのか。 「名津が言ったように、俺たちは別れる運命なのかもしれない」 「それは、りょうが俺から離れようとしていたからそう言っただけで、本当にそうとは……」 「いや、そうなんだ。俺たちはいずれ、一緒にいられなくなる」  ただでさえ大きな名津の目が、一瞬さらに見開かれたのを俺は見逃さなかった。そしてその眸子には、薄暗い部屋でも分かるほど、一切の濁りがないことも改めて認識した。 「そうなったとしても、俺は名津の番でいたいと思ったんだ。ルークに噛まれて気づいた。名津以外の誰かと番になるなんて、そんなの絶対に嫌だ。名津が俺以外の人と一緒になったとしても、俺は…」  名津の大きな身体が俺を包んで、温かくて苦しくて、続きを話すことができなくなった。 「俺はりょうと別れるつもりも、離れるつもりもない」  話続けて乾いた口元を、熱く柔らかな名津の唇が潤す。名津の身体は全てが温かい。背中をさする大きな手は、形も温度も何もかも定まらない俺の感情まで温める。ぬるま湯に浸かっているような心地良さが、頭をぼーっとさせる。湯に沈むように、目を瞑った。  次に目を開けると、温かさにほっとした。重たかった頭と身体は、少し軽くなったように感じた。しばらく眠っていたようだ。 「名津…?」  自室には俺しかいない。先ほどの温もりが嘘だったかのように、いつもの寝巻きを着て、いつものように布団にくるまっている。  飛び起きてリビングへ向かうと、名津がキッチンに立っていた。部屋はいつものように明るく、温かい。日常の光景に名津がいる。それだけで心が躍った。これが毎日だったらどんなに良いだろう、と願ってしまう。 「あ、りょう。そろそろ起きてくる頃だと思った。そこに座ってちょっと待ってて」  俺に気づいて名津が微笑んだ。その微笑だけで胸が高鳴り、やっぱり贅沢は言ってられないと考え直した。今やスターになりつつある名津を、一瞬でも独り占めできている俺は恵まれている。「日常だったら」なんて、そんな大それたこと、考えてはいけない。 「はい、どうぞ」  キッチンカウンターの椅子に座ると、マグカップを手渡された。手の平をじんわりと温める。鼻をくすぐるのは、ココアの良い香りだ。名津が手にしているマグカップからは、コーヒーの香りが漂ってきた。同じコーヒーでも良かったのに、名津はわざわざ俺のためにココアを淹れてくれたようだ。 「……今の俺はコーヒーも飲める」 「でも好きなのは、甘いココアでしょ?」 「……」  正解だ。別にコーヒーだって嫌いじゃない。だが、甘いものに目がない性分は、簡単に変えられそうにない。  あれが好きで、これが嫌いで、だから僕はこうする……なんて、単純な世界にいつまでも居られない。否が応でも大人になる。その時が近づいているのは分かっている。だが、16歳のときに抱いた甘ったるいほどの恋心に、まだ浸かっていたいのだ。 「…美味しい」 「ならよかった。あっち、行こう」  ニッと笑うと、名津は俺の手を引いて、リビング中央にあるソファへ向かった。  先に俺をソファに座らせ、その隣に名津も腰掛ける。リビングで名津の横顔を見ていると、ふと、日本で見かけた名津のポスターを思い出した。 「日本に帰ったとき、名津が映ったポスターを見た」 「あーバスケ専門誌のポスターかな?え、惚れ直しちゃった?」  そう言いながら、名津がからかうように笑っている。名津の言う通り、ポスターを見た瞬間、スターに憧れる少女のようにドキドキしたことを思い出した。俺の耳や頬が、火照るのを感じる。 「……」  図星すぎて言葉に詰まる。だが、修正する器用さは持ち合わせていない。 「おいしょっ」 「なっ!や、やめろっ」  右手からマグカップを奪われたかと思うと、いきなり抱き上げられ、気づいたら名津の腿上に座らされていた。 「りょうがかわいすぎて……」  腹部に名津の頭が当たったかと思うと、そのまま強く抱きしめられた。 「りょうが好きすぎて……もし、りょうが俺の頭の中を見ることができたら、ドン引くかもしれない。それくらい、俺はりょうのことばっかり考えてるよ」  見上げてくる眸子は、高校生の時に放っていた輝きを内包し続けている。 「……俺も同じだ」 「いや、同じじゃないよ。俺のりょうへの想いは、突き抜けてるもん」 「なんでそこ張り合うんだよ」 「だって、そうだから」  腹部に巻き付いた名津の手から、温かさが身体の内側にまで染み渡る。 「俺、寮を出るよ」 「えっ……今回の、ルークの件があったからか?」  思い出したからだろう、首筋に残るルークの噛み跡がズキンと微かに主張した。名津は、ルークが俺を噛んだのは『バスケが関係している』と言っていた。  ベンチメンバーに入れるのは、たったの数十人。その席に座るためには、チーム内の熾烈な争いに勝つ必要がある。その過程で、仲違いも起こるだろう。ルークの、名津に対する怒りや嫉妬、妬みなどの負の感情が、この首筋の噛み跡に現れたのかもしれない。 「正直それもある。でも、ずっと前から考えてたんだ。りょうが気兼ねなくうちに来られるようにしたいって」  スッと目の前に差し出されたのは、どこかの鍵だ。 「これって……」 「うん。俺のアパートの合鍵。りょうに渡しとくね」  手の平に落とされたその鍵は、丸みを帯びたかわいらしい形状をしていて、愛おしく感じた。喜びで胸が高鳴りながらも、脳ではさまざまな思いが交錯する。 「……待て。ご両親は知っているのか?金はどうするんだ。というか、ごはんは?練習後にいちいち料理するのか?それに、男とはいえ1人はやはりあぶな……」  忙しなく動く唇を止めるように、名津の口腔が覆い被さった。 「俺が映ったポスター見たでしょ?1人暮らしできる程度には稼げるようになったから大丈夫」  にかっと破顔する名津に、無条件に安堵している自分がいる。高校生のときと変わらない、向日葵のような笑顔。だがその奥には、何層にも積み重なった土層のような、固く揺るがない強さがあった。高校生のときには感じることのなかった、不抜さだ。 「それに、ブラックコーヒーも飲める。大人でしょ?」 「え…?まあ、そうだな……」  名津の口元から漂う、微かなコーヒーの香りが鼻をかすめた。そうだ、いちいち親に相談しなければ先に進むことができなかった、高校生ではもうないのだ。 「不安になったら、好きなだけうちに居れば良いよ。あ、あと…悩んでることがあるなら、ユイに言うんじゃなくて俺に言ってよね」 「え!……ユイから何か聞いた…?」 「『委員長が不安そうにしてる。あんた何してんのー?』って、電話で怒られた」  名津の、ユイの真似があまりにも似すぎていて、吹き出してしまった。  年末に日本に帰国したとき、ユイと会って悩みを打ち明けたのだった。しかしそれが全て名津に筒抜けだったと思うと、気恥ずかしくて頬が熱くなる。 「ごめんね、りょう。不安にさせて。今後もこの時期は、どうしてもりょうに会えなくなっちゃうと思うんだ」 「それは当たり前だ。名津にはバスケに集中して欲しいし、邪魔するつもりはない。俺がワガママを言っているだけで…」 「ワガママなんかじゃないよ!俺が、りょうのこと全部知りたいの。だから、遠慮しないで電話して欲しいし、いつでもうちに来て欲しい」  鍵を握る俺の右手を、名津の左手が包み込む。そして名津の優しい声音が、鼓膜さえも温める。 「番になればそれで良いわけじゃない。いやもちろん、俺はりょうと番になりたいよ。でも俺はそれ以前に、りょうのパートナーになりたいんだ」  ——パートナー  別に初めて聞いた言葉なんかじゃないのに、耳にした途端に、心臓がドンドンと俺の身体を打ち立てる。  名津は、いつの間にか俺のずっと前を歩いていた。そして、下を向いて立ち止まってしまった俺の手を引いて、その先に続く光の方へ導いてくれていた。  俺はいつから、こんな頼りない男になったのだろう。いや、もしかしたらずっと前からこうだったのかもしれない。 「……毎日名津のアパートへ行ってしまうかもしれないが、それでも良いのか?」 「毎日来てくれるの!?やばい、最高すぎる」  名津の左手が、頭や背中を包み込んだと思ったら、そのままソファに寝かされた。 「ずっとりょうと一緒に居られるなんて、夢みたいだ」 「ああ……そうだな」  名津と再会するまでは、もう会えないと思っていた。それなのに今、会いたいときに会えるかもしれない未来が眼前にある。 「でもその前に、俺がちゃんとイッてないの忘れてないよね?りょう」 「ま、待て。今日は発情が長かったから、疲れている。またいつでも出来るのだから、今日はゆっくり2人で映画でも観て…」  俺が話していることなんてお構いなしに、名津は俺の部屋着のボタンを外し始めている。 「今日、りょうはずっと誘ってきてたよね?俺はそれに応えているだけなんだけど」 「ひゃっ…ま、待てって…ぅあぁぁ!」  上衣を脱がされ、そのまま両腕を上げられて固定される。一気に下着も下ろされて、全てが顕になった。  疲れていると言いながら、後ろの窄まりからは早速愛液が滴っている。やはりド変態なのは、相変わらず俺の方だ。

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