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第1話「俺もその本好きなんです!!」
店内がガヤガヤと賑わい、厨房ではガチャガチャと皿や調理器具の音が慌ただしく鳴っている。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
店のドアが開き、カランコロンとベルの音が鳴ると、急いでお客様のお迎えへと早足で向かう。
「あ、えっと、一人です。」
「一名様ですね。空いてる席へどうぞ。」
従業員用の服をぴしっと着こなしてにこやかに笑いながらそう返す男。
――名前は、荒田愁。
一か月前に大学二年へと進学したばかりで、大学デビューを果たすために明るい茶色に染めた髪が店内でよく目立つ。
客は、ぺこりと、小さく会釈をして、愁の前を通り過ぎた。
今日も来た。いつもの時間、いつもの席で、いつも何か深く悩んでいるような、晴れない表情で外を見つめる人。
名前も年齢も、何をしてる人かもわからないその人に、愁はいつしか心を奪われていた。
陶器のように白く透き通った肌、真っ黒な髪は時々ぴんっと寝ぐせがついていて、何を考えているのか、何を映しているのかわからない真っ黒な瞳は、いつもぼんやりと霧がかかっているように見える。
愁とその男はただの店員と客の関係。変に話かけてしまうと、嫌がられて、もう二度と店に来なくなってしまうかもしれない。愁にとって、それだけは一番避けたかった。話しかけたい、触れたい、知りたい。でも、二度と会えなくなるくらいなら、交わらず、ただ遠くでひっそりと見ているだけでいい。そう思っていた。
男が座る近くのテーブルを片付けに、ワゴンをガラガラと押して行く。男の横を通りすがる瞬間、悪いとは思いながらも、男が開いているノートパソコンの画面をちらりと見た。
「レポートでも書くのかな…。」
食べ終わった皿をワゴンへ移してテーブルを拭きながら、愁は小さな声で呟いた。
ノートパソコンの画面に映し出されていたのは、何も打ち込まれていない、真っ白の原稿用紙の画面だった。
年齢はさほど変わらないように見える。いつも十五時頃から私服でファミレスに来るくらいだ。社会人ではないことは確実だ。きっと、近くの大学に通っている大学生なのかもしれない。だとしたら、少しは話しかけるきっかけが掴めそうな気がする。
テーブルを拭きながら、ちらりと男を見ると、相変わらず、悩ましい表情で外を見つめている。その表情さえも、うっとりとしてしまうほど素敵だと思うくらいには、何の素性も知らない男に愁は惚れていた。
十八時から二十一時頃まで続くピークを超え、落ち着きを取り戻しつつある厨房で、ふぅ、と愁は一息ついた。今日はいつもより一段と忙しかった。本来ならば今日のシフトは二十二時にあがりだったのだが、片付けが終わってない為、急遽一時間延長となった。
「さて、さっさと片付けて帰るか。」
ぐいっと腕まくりをして、溜まった洗い物との闘いに覚悟を決める。スポンジに洗剤をかけた瞬間、会計棚に置いてある呼び出しベルがチーンと鳴ったのが聞こえた。
「ごめん、荒田くん。お会計お願いしていいかな。」
申し訳なさそうな顔で両手を合わせながらお願いしてくる店長の手にはたばこが握られてある。たばこ休憩に行こうとしたタイミングで呼び出しベルが鳴り、一刻も早くニコチン摂取をしたい店長は、業務を愁に押し付けているといったところだ。
心の中では会計の数秒くらい我慢しろよ。なんて悪態ついているが、もちろんそんなことは言えず、にこやかな笑顔で「いいっすよ!」と快く引き受けた。
「お待たせ致しましたー。お会計ですねー。」
厨房から表に出て、レジの前に立ってから愁はぐっと息を呑んだ。
名前も知らない愁の好きな人が会計棚越しに立っていたのだ。何度かレジ対応をしたことはある。ただの業務ではあるが、この至近距離で長めの会話ができるのは何度経験してもドキドキする。
「えー、全部でお会計二千五百円ですね。当店のポイントカードお持ちでしょうか?」
「もってないです。」
「かしこまりました。もしよろしければお作りなされますか?」
「いや、いいです。」
「失礼致しました。」
ポイントカードを持ってないことも、週に少なくとも二回は利用しているのにポイントカードは絶対作らないことも勿論知っている。だが、少しでも男の声を聞きたくて毎回わざと愁は聞いているのだ。
身長、俺とあんまり変わらないんだなぁ…。数センチ俺の方が高いかも。よく見たらまつげ長っ。顔も綺麗
だし、声はちょっと低めなところも顔とのギャップが良いなぁ…。なんて思いながら、ぼんやりと男の顔を眺める愁。数秒間見つめ、はっと我に返る。
――まずい、見すぎた!バレたかもしれない。
不審に思われたかと不安に思った愁だが、男は、そんな愁の視線にはまったく気づいておらず、肩にかけていたトートバッグの中をがさがさと荒い手つきで漁り、ぶつぶつと独り言をぼやいていた。
「あれ…おかしいな、ちゃんと持ってたはずなのに…。なんでないんだ…。」
「お客様、どうなされました?」
「あ、いや、財布が…。ちゃんと持ってはいるんです!ちょっと、待ってください!」
そういうと、トートバッグの中身を棚の上にぽんぽんと出し始めた。
筆記用具、ノート、パソコン、ティッシュ、ハンカチ、飴、絆創膏、家の鍵などなど…。まるで四次元へ繋がっているのかと思うくらい、バッグからは次々にいろんなものが出てくる。バッグから飛び出してくる物達の中で、愁がぴたっと目を止めたものが一つだけあった。
「こ、この本…!」
男が取り出した本を手に取り、興奮した様子で愁は男に話しかけた。
「あの、この作者のファンなんですか!?」
「え…。あー、まぁ、はい…。」
「俺もこの作者のファンなんです!いいですよね、桜庭みずき!」
会計棚から身を乗り出すようにして話すと、男は若干引き気味で、返事を返した。
愁は嬉しかったのだ。ようやく、話しかけるきっかけを手に入れた。共通の話題が何よりも距離を縮めるのに手っ取り早い方法だ。これだ!と思った愁は、畳みかけるように桜庭みずきの話を続ける。
「桜庭みずき先生の小説といったら、切なくてもどかしい、でも初々しくて最後には心温まるラブストーリーなところが最高ですよねっ!」
「あー…そう、なんですかねぇ…。まぁでも、ぶっちゃけ、デビュー作の『青、そして春。』しか売れてないですけどね…。」
無事財布は見つかったらしい。バッグから引っ張り出して机の上に散乱させた物を、投げ入れるようにして再びバッグへと戻し、財布の中から三千円を取り出してコイントレーに置く。
このままだとすぐに男は帰ってしまう。少しでも長く話したい。そう思うと、無意識的に会計作業をする手の動きが遅くなってしまう。お釣り分の小銭をレジの中からゆっくり取り出しながら、少しでも引き延ばすため、愁の口は動くことを止めない。
「確かにそうですけど…。でも、個人的には2作品目の『初めましてを何度でも』も好きなんですよね。世間的には、ストーリーに山もなければオチもない。みたいな散々な言われようでしたけど、俺はあぁいうのんびりした感じ、好きですよ。お兄さんは何作品目が一番好きですか?」
「いや、俺は…。」
気まずそうな表情で伏し目がちになると、どんどんと声がくぐもっていく。
ピンポーンと、客の少なくなった店内に呼び出しコールの音が響き渡る。厨房を見たが、店長はまだたばこ休憩から帰ってきていないらしい。
「…ありがとうございます。レシートいいです。」
愁の手から、小銭を剥ぎ取るようにして受け取ると、そそくさと扉を開け、帰っていった。
慌てて「またお越しください!」と大きな声で行ったが、既に扉の向こうにいる男に、愁の声が聞こえたのかは定かじゃなかった。
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