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第2話「間違いない、これは恋だ」
好きな作品を聞いた時の男の反応は、困っている様子だった。
もしかしたらいらないことを聞いてしまったのかもしれない。二度と店に来てくれないかもしれない。
そんな不安を胸に抱えながら、火曜日、水曜日と過ごし、木曜日が来た。男は愁が把握している限り、少なくとも月曜日と木曜日にやってくる。金曜日はランダムで来たり来なかったり…。
もし、この前の出来事が嫌でないならば、きっと、今日も来るはず。時計はもう少しで十六時を回る。いつもより遅い…。もしかして、本当にもう来ないんじゃ…。
そう思った時だった。カランコロンと、ドアベルの音が店内に響く。
「あの、一名で。」
テーブルの片付けをしていた愁がドアの方に目をやると、そこにはあの男が立っていた。
「一名様ですね。空いてる席へお座りください。」
昼シフト担当のパートのおばさんが席へと促す。
愁の心臓はばっくばっくと、激しく波打っていた。今日も来てくれた嬉しさと安堵感。そして、とてつもない緊張感が愁を襲う。
今日もしまた会えたら、自分から話しかけようと決めていた。落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かし、深い深呼吸を何度かする。
男が頼むものは基本いつも同じだ。ドリンクバーとハンバーグ付きオムライス。時々デザートも頼む時がある。席につくなり、メニュー表も開かずすぐに店員を呼び注文をした様子を見る限り、今日もいつもと同じメニューだろう。
おかげで、まだテーブルの片付けが終わってなかった愁は、注文を取りに行くことができず、パートのおばさんに行かれてしまった。商品を持っていくのは絶対に俺だ。
そう意気込みながら厨房へ帰り、いつ料理が仕上がってもいいよう、店長がオムライスを作っている間に、ささっと洗い物を済ませた。
「これ、五番テーブルね。」
「俺持っていきます!」
びしっと右手を天高く真っすぐにあげると、「荒田くんはやる気があっていいねぇー。」と褒められた。
店長には申し訳ないが、俺は仕事へのやる気で満ち溢れているんじゃない。今日こそあの人に話しかけるぞ、というやる気で満ち溢れているんだ。
オムライスを片手に、今日もいつものテーブルで、ノートパソコンを開いてぼんやりと外を見ている男の元へと真っすぐ歩いていく。
「お待たせいたしました。ハンバーグオムライスです。ご注文の品は以上でお間違いないでしょうか?」
「はい、ありがとうございます。」
「ごゆっくりどうぞ」そう言ってここですぐにはけるのが従業員の仕事。でも…。
「…あの…なんでしょうか?」
一向にテーブルの横からいなくならない愁を不審そうな顔で見上げる男。鬱陶しいと思われているとわかっていても、目があった喜びで空まで飛んでいけそうな気分だった。
「あ、あのっ!こ、この前は一方的にいろいろ話しちゃって、すみませんでしたっ!」
「この前…?あぁ、レジの前で。別にいいですよ。」
「俺、つい嬉しくなってしまって…。同じ桜庭みずきファンとして、その、また、話しかけてもいいです
か…?」
男は一瞬、大きく目を見開いたが、すぐにまた、伏し目がちな目で、気まずそうに困った顔をした。
数秒間、あー…と返事にもならない声を出し、煮え切らない態度を続けたが、ふぅっと、息を吐くと、「いいですよ。」と返した。
まさに急展開だった。
愁が彼のことを気になり始めたのは七か月も前のことだった。
去年の二月に、大学進学と共に、大学があるこの街に引っ越してきた愁は、新生活が落ち着き始めた初夏、今のバイト先であるファミレスのバイト面接を受け、七月の半ば頃から働いている。
最初の三か月は、業務を覚えるのに必死で周りを見る余裕なんてなかったが、四か月目に差し掛かる頃には、業務にも慣れ、常連のお客さんの顔もしっかり覚えるようになっていた。
そんな時、愁はふと、物思いにふけた顔をした男に目を奪われ、一目惚れをしたのだ。愁が気づかなかっただけで、きっと男はずっと前からこのファミレスの常連だと思う。いつから通っているんだろう。なんて名前なんだろう。いつもパソコンを開いて何しているんだろう。
知りたいことは山ほどある。でも、そんな思いに全て蓋をして、愁は7カ月もの間、ただ、男の顔をひっそりとバレないように見ることしかできずにいた。
それなのに、突然たった一冊の本をきっかけにこんなにも急接近できるだなんて、思いもしなかった。七か月分の聞きたいことがたくさんある。どれから話そうか。そう考えていると、ピンポーン、と呼び出しコールが店内に響き渡った。
「呼ばれてますよ。行ってあげてください。」
あぁ、なんてタイミングの悪い…。後ろ髪を引かれる思い断ち切り、渋々呼び出しコールを押したテーブルへと向かう。
―あっ、でも、これだけはどうしても…。
くるっと、男の方へと向き直し、胸元につけているネームプレートを服からちぎれてしまうくらいぐいっと引っ張って前へ突き出す。
「俺、荒田愁です!あの、お客さんの名前は…?」
スプーンでオムライスをすくい、口へ運ぼうとしている手を止め、目を丸くして俺を見る。食べようとしていた途中らしく、ぽかんと口があいたままだ。
男は、数秒間愁を見つめ、固まったままだったが、スプーンを持つ手を下へさげ、ふっと笑った。
「青山瑞樹。」
その笑った顔は、いつも目をくぐもらせ、悩ましく鬱々とした表情で外を見つめている顔からは想像できないほど、綺麗で、でも、やはりどこか切なく儚げな印象だった。
それからも、瑞樹は月曜日と木曜日には決まって十五時頃になると、ファミレスを訪れた。
いつもの席でパソコンを開き、相変わらず、悩ましい表情で外を見つめている。ただ一つ、変わったことは、時々バイト中の愁が話しかけてくるようになったこと。
最初の頃は、年齢や住んでる場所、愁の大学の話など、基本的には愁が主体となる他愛もない話が多かった。
会話をする中で愁が入手した最低限の瑞樹の情報。
瑞樹は二十五歳で、この近くに住んでいるらしい。大学は愁と同じ大学出身だった。しかも同じ文学部。つまり、愁にとって瑞樹は先輩ということになる。
仕事はフリーランスでゴーストライターとして活動しているらしい。
月曜日と木曜日に決まって十五時頃にファミレスへ来るのは、御贔屓にしてもらっている出版社の事務所で、打ち合わせをした帰りにいつも立ち寄っているそうだ。
ちなみに、金曜日、稀にファミレスを訪れるのは本当にただの気まぐれらしい。
愁は今の関係に十分満足していた。
ずっと気になっていた人と話をすることができた。週に2回、他愛もない話に少し花を咲かせる、ほんのちょっと仲の良い店員と客。それだけの関係でよかったのだ。
瑞樹のことは好きだ。間違いない、これは恋だ。瑞樹を見る度、瑞樹と話す度、瑞樹が笑う度、愁の鼓動は壊れそうなほど跳ね上がり、死んでしまうんじゃないかと思うくらいの痛みが走る。
でも、好きだからこそ、これ以上近づきたくはなかった。男が男を好きだなんておかしいから、きっと知られてしまえば嫌われる。その不安が、愁にこれ以上瑞樹と仲良くすることにストップをかけていた。
「今日も瑞樹さん来るかな…。」
キャンパス内の廊下を歩きながらぽつりと呟く。今頃何してんだろ。13時だからまだ出版社の事務所で打ち合わせしてるかな。
瑞樹のことを想うと、自然と口角が緩み、ふへへっと笑った。
「なーに笑ってんだよ。なんかいいことあった?あ、もしかして彼女できたとか!?」
後ろからやってきた友達に背中をぽんっと叩かれる。
――東田光大。愁の大学の友達。
「おぉ、光大!彼女って…そんなんじゃないよ。」
「本当かぁ~?さっきのにやけ具合、絶対女だろ~?」
「だから違うって、ほら、早く行かないと講義遅れるぞ。」
光大を置いて、いそいそと講義室へと向かう。後ろで「待てってばー。」という光大の声が廊下に響いた。
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